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堀川高等学校(探究学科群)(京都府)の受験録(2017年度)-合格体験記

堀川高等学校(探究学科群)(京都府)の受験録(2017年度)-合格体験記

京都市立堀川高等学校(探究学科群)の受験録
-合格体験記

上辻 亜季さん(2017年)

進学校以外の合格校名

・洛南高等学校〈海パラダイム αプログラム〉 ・西大和学園高等学校〈東大・京大・国公医コース〉

わたしの志は、
学校の教師になって、生徒たちが将来の希望と夢をもてるように勉強だけでなくそれ以外のこともたくさん教え、幸せになってもらうことです。
この志を立てた動機は、私が「教師」の概念を変える人と出会ったことです。「教師」にどこか堅苦しいイメージがありましたが、その先生はまっすぐ生徒と向き合い、生徒の幸せを第一に願っているように思えました。人の役に立ちたい思いも強かったことから、教師になり、私たちの次の世代が幸せになる手伝いをしようと決めました。そのために、まず自分と向き合うこと、どんな自分も受け入れて、改善策を考え、前に進んでいきたいです。

出会いの素晴らしさ

平成二十六年一月二十二日。自分の部屋で京都市立 西京高等学校附属中学校の受検票を左手で握りしめ、私は涙が止まらなかった。そう、受験に失敗したのだ。

私が成基学園に入塾したのは、小学五年生の夏だった。周りの人から受験を勧められ、私も勉強ができるようになりたいと思ったからだ。入ってみると、四年生あるいは三年生から来ている人もいて、私は遅れていると思った。それなりに努力したつもりだった。けれど周りは私の何倍も、何十倍も努力していたのだろう。当時私は勉強への前向きさが欠けていた。当然結果は不合格だった。これ以上ないくらい泣いた。そして心から、高校でリベンジがしたい、勉強がしたい、もっと賢くなりたいと思った。受動的でなく能動的に。

一年生のときは、部活動に打ちこんだ。しかし、基礎をしっかりやらないといけないとわかっていたから、宿題をしてできなかった問題を解き直すことは必ずやった。当時は、可もなく不可もなく、そんな成績であった。

二年生になって先生が変わり、内容もスピードもレベルが格段に上がった。初めにつまずいてしまえば、追いつけない差ができると思った私は、どの教科も復習中心に努力した。まだまだ一〇〇パーセントではなかった。それでも成績は悪くないからと安心していた。

私がようやく本気で焦り始めたのは、三年生になってからのことである。Sクラスに四人くらいが上がってきた。みんなすごくよくできて、圧倒された。生半可な勉強は通用しないと思った。できないところがあるのは、自分のせいだと、やり足りていない部分を埋めにかかった。目の前の自分の課題をこなしていくこと。ただただできないところを自分の力でできるようにすること。その方法が功を奏したのか、〈夏期学習合宿(合宿)〉のクラス分けに使う〈Vもし〉の成績は良く、自分でも嬉しかった。ところが、私はまだまだ甘かった。ほんの五ヵ月で一、二年生の穴を埋める、かつ、三年生の勉強をするということをやりきれるわけもなく、〈合宿〉で痛い目にあった。周りは自分のしてきた努力に自信があり、私より努力していると思える人ばかりだった。これではどこも受からない、何倍も何十倍も努力しないとだめだと強く思った。とりあえず最終日テストに向けてやれることをしようと思い、ひたすら努力した。〈合宿〉とは何なのかと聞かれたら、私は、「自分を見つめ直す場」だと答えると思う。いろいろな人に出会って自分のあり方と照らし、刺激を互いに与え合い、合格に向けてがんばる、すばらしい場だと思っている。

そして日がたち、〈日曜進学教室〉が始まった。最初の方は成績が良かった。しかし〈ウルトラコース〉に入ると穴が目立ち、点数がとれなくなった。自信は失ってしまったが、やるべきことはわかっていた。いつでも目の前の課題をこなすだけ。復習量も増やした。それでも成績はすぐにのびることはなく、むしろ下がっていっているようだった。最後の〈堀川・西京・嵯峨野模試〉では数学が三十点台。他のテストや模試でも成績が悪いと嫌になり、そのたびに泣いた。受験が近づいたときのテストの出来が良くなく、もうどうしたらいいかわからないときもあった。そんなときに、私を支えてくれたのは周りの人たちだった。成績が悪くて落ち込んだとき、常にそばにいてくれる友だちがいたら私は前を向いてがんばることができた。先生方にも恵まれた。英語のY先生は、私ができないときも的確なアドバイスをしてくださった。数学のN先生は泣きながら相談に行っても、いつも通りの感じで話を聞いて意見を言ってくださった。国語のS先生は苦手だと言ったら、私の学力に合った演習テキストを貸して指導してくださった。理科のU先生は質問をしに行くと、理解度を見ながら丁寧に教えてくださった。社会のN先生が努力される姿を見て、がんばろうと思えた。どの先生の授業もおもしろく丁寧で、大好きだった。

この受験録を通して私が言いたいことは、出会いを大切にしてほしいということと、成績が良くないときも、自分で自分を見つめて、努力を続けてほしいということだ。努力はいざというときに、必ず自分の味方になってくれると思う。私は三校全ての受験で、「今、入学試験を受けている」という不安や緊張がなかった。本番に平常心で臨めるようにするには、努力が必要不可欠である。少なくとも私はそう強く実感した。また、私が努力を続けられる根本には、多くの人の存在があった。それらの人との出会いがなければ、今の私は存在しない。来年受験をする人には、支えてくれる周囲の人たちを大切にしてほしい。そして、先生方や両親への感謝の気持ちを忘れないでほしい。苦しいときもたくさんあると思う。泣いて帰るときもたくさんあると思う。それでも、前を向いてがんばってほしい。私たちは、「勉強させてもらえる」ありがたい立場であることを常に心にもち、努力を重ねてほしい。私の学びはこれで終わらないし、むしろここからだと思っている。

今までお世話になった先生方、本当にありがとうございました。これからもまっすぐ前を向いて進んでいきます。

 

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有馬 玲さん(2017年)

進学校以外の合格校名

・大谷高等学校〈バタビアコース マスタークラス〉

わたしの志は、
大学の先生になって学問を研究し、研究の成果をもとに、より良い社会を築く方法を人々に伝えることです。
私の父は大学の先生で、父が仕事をする姿をいつも近くで見てきました。学びを怠ることなく、常に成長し続ける父に憧れ、私もそうでありたいと強く思っています。大学の先生になるためには、学校の勉強はもちろんのこと、自分から多くのことに興味を持つ姿勢が必要です。そこで私は、日頃から問題意識をもって物事に取り組むとともに、本や新聞などから知識を吸収し、それをもとにさまざまなことを考える習慣をつけようと思っています。

ようやく一歩

私は幼いころから身体が弱く、よく体調を崩します。特に病気というわけではないのですが、頻繁に熱を出して寝込んでしまうのです。そのため、学校や習い事も休みがちで、やりたいことも満足にできないことが多かったです。

そんな中、私は中高一貫の公立中学校を受験しようと決めました。合格すれば高校受験の必要がなくなるため、地元の中学校に行くよりは勉強が楽だろうと考えたからです。また、ちょうどその頃家の近くに成基学園京大北教室が新設されました。近所であれば体の弱い私でも通えるだろうと思い、成基学園に入塾しました。小学六年生の春のことです。

こうして塾通いを始めたはいいものの、身体の調子は相変わらずでした。勉強は好きでしたが、身体がついていかず、模試の合格判定はいつも最低ランクでした。

状況は良くならないまま、あれよあれよという間に、入試がやってきました。結果はもちろん惨敗。納得がいくまでがんばることができなかった悔しさと、両親への申し訳なさでいっぱいでした。そして、この日感じた悔恨の思いは、中学校三年間、常に頭に残っていました。

地元の中学校に進学してからも、体調はさほど改善しませんでした。しかし中学受験をきっかけに、私の考えは大きく変わりました。「もう、あんな後悔はしたくない。できることには限りがあるけれども、多くのことに挑戦し、それらを最後までやり切って成長したい。そして、自分の行きたい学校に今度こそ合格したい。」そういう強い思いから、積極性が増し、勉強へのやる気もぐんと高まりました。

そして、一年生の夏休み。私は京都市立 堀川高等学校の学校説明会へ行きました。中学校の担任の先生が、「有馬さんに合ってそうな学校」だと紹介してくださったのです。説明会で受けた衝撃は忘れられません。生徒主体の自由な校風と、生き生きと活動される先輩方の姿に憧れ、私もあの中に混ざって学校生活を送りたいと強く思いました。

といっても、やはり身体への負担が大きいため、一、二年生の間は苦手教科対策に絞った形で通塾ペースを減らしました。問題が難しくて半泣きになりながら解いたこともありましたが、確実に力をつけることができたと思います。

三年生になって、本格的に受験勉強を始めました。ほぼ毎日塾に通う生活は大変で、塾を休んでしまうことも度々ありました。思うように勉強ができず、自暴自棄になることもありました。そういう状況を抱えながらも、授業についていくことができ、模試でも良い成績を取り続けることができたのは、先生方が支えてくださったおかげです。本当に感謝しています。また、友だちの存在もとても大きかったです。冗談を言って笑ったり、勉強を教え合ったり、みんなと過ごした日々はかけがえのない宝物です。

さらに、〈夏期学習合宿(合宿)〉や〈日曜進学教室(日進)〉では、他教室のライバルたちとも出会うことができました。同じ目標に向かって切磋琢磨してがんばることができ、本当に充実していました。自分の苦手を発見する上でも役に立ちましたし、何より、勉強がとても楽しかったのです。

年が明けてから体調が大きく悪化したのですが、入試にはベストコンディションで臨むことができました。中学受験のときとは違い、本気で勉強することができたため、結果に対する不安はありませんでした。当日は、どんな問題が出されるのか楽しみで仕方がなかったです。私たちが解いた問題が赤本に載って、それを後輩たちが、私たちと同じように「難しいなあ……」「あれ、この年の問題は簡単やん」などと言いながら解くのだろうなと思うと、無性に嬉しかったのです。なぜ嬉しく感じたのか今はわかりませんが、いつかわかる日が来るでしょうか。

ともかく無事に合格することができて、三年間抱えてきた思いも晴れました。少しは自分の成長を感じることができて良かったです。先生方や友だちの支えがなかったら、絶対に達成できない目標でした。本当にありがとうございました。成基学園で過ごした四年間を私は決して忘れません。

憧れの高校にせっかく入学できるのですから、身体をいたわりつつも、さらなる高みを目指して努力します。たとえ辛いことがあったとしても、初心を忘れずに最後までやり切りたいと思います。

がんばって書いたのですが、この文章が後輩のみなさんの参考になるのかどうか、私には自信がありません。しかし一つだけ、お伝えしたいことがあります。

努力しても合格できるとは限らないのが受験です。ですが、たとえ合格できなかったとしても、あなたが積み重ねてきた努力は決して無駄にはなりません。その努力は、あなたの人間性をより高めてくれるでしょう。

どうか前向きにがんばってください。

 

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平松 朋真くん(2017年)

進学校以外の合格校名

・洛南高等学校〈空パラダイム〉 ・東大寺学園高等学校

わたしの志は、
医師や研究者になって病気や怪我で苦しむ人たちを助けることです。
僕が医師や研究者を志したのには、特別なきっかけがあったわけではありません。貧困で十分な医療が受けられない人、戦争やテロで傷ついている人。僕は彼らをただテレビ越しに見る事しかできませんでしたが、「彼らのように病気や怪我で苦しむ人たちを助けたい」と思うようになりました。
志を実現するために、これから三年間で今より更に学力を向上させ、医学部に合格します。そしていつか世界の医療に貢献できる人になります。

人生の通過点を越えて

自分のやりたいことは何だろう?自分にできる事は何だろう?小学生の頃から、僕には将来のビジョンがなかった。自分に自信を持つことができなかった。自分の将来の可能性を広げるため、自分を探すために、僕は勉強を続けている。

僕が成基学園に入塾したのは、小学五年生の冬だった。入塾テストの成績が良かった僕は中学受験を勧められ、受験コースで〈冬期講習会〉を受ける事になった。しかし、それまで受験などまったく考えたことがなかった僕にとって、塾での進んだ授業は難し過ぎた。それでも必死に授業についていこうとしたが、「あと一年間勉強しても最難関校には合格できない」と考えた。そして、僕は中学受験を諦め、四年後の高校受験を目指すことにした。

中学校へ進級した後は、人並みの勉強をしていた。学力テストなど模試の結果は満足のいくものだったし、部活をしていた事もあり、それ以上の勉強時間は確保できなかった。勉強にはほとんどつまずいたことがなかったので、自信があった。しかし、この頃の勉強習慣が後に自分を苦しめることになるなど、当時はまだ知る由もなかった。

中学一年生の頃から、京都市立 堀川高等学校に行きたいと思うようになった。京都の公立高校の中はトップで、国公立大学への進学率も高い高校だ。レベルの高い学校で、レベルの高い生徒と共に、レベルの高い授業を受けられる。その環境が自分を高めてくれる。また、堀川高の生徒主体の校風は、これから社会へ出る僕を人間として成長させてくれると思った。そんな堀川高に僕は惹かれたのだ。

中学三年生になった僕に、とうとう手抜き勉強のツケが回ってきた。英語と数学に苦手意識を持つようになった。今まではむしろ得意教科だと思っていただけに、ショックだった。二年間の自分の行いを悔やんだ。ちょうどその頃から〈堀川・西京・嵯峨野特訓〉が始まり、そこでも僕は愕然とした。手が動かないまま、問題を見つめるばかりだった。難しい問題を簡単に解いている他教室の生徒が雲の上の存在に思えて、その場にいるのが恥ずかしかった。「このままではまずい」と勉強量を増やし、習ったことを徹底的に復習した。〈Vもし〉での成績は上がっていったが、まったく納得できなかった。特訓を受ける度に、自信を失っていくのだった。

そして夏がやって来た。あの五日間が、僕の受験勉強のターニングポイントとなった。最上位会場『奈良パークホテル』の一組として、僕は〈夏期学習合宿(合宿)〉に参加した。成績上位者としてのプレッシャー、周囲に追い抜かれる恐怖、教室に漂う独特の雰囲気。初日からおかしくなりそうだった。共に授業を受けていると、みんなの本気度が伝わってきた。五日間、ただひたすら勉強した。

決して〈合宿〉で急激に成績が上がったわけではなかったが、〈合宿〉を機に僕は勉強に対する気持ちを入れ替えた。そして、これからも成長し続けるであろうライバルたちに負けぬよう、勉強量を増やした。自分に足りないもの、必要なものが何かを分析して勉強するようになった。残りの夏休みは、朝から晩まで勉強漬けだった。

九月からは〈日曜進学教室(日進)〉が始まった。より忙しくなり、短時間で質の高い勉強が求められた。授業のない日も毎日のように塾に通い、自習室で勉強していた。〈日進〉では順位と名前が掲示される。成績が良ければ嬉しいし、成績が悪ければ悔しい。しかし、どんなに嬉しくても決して手を抜かず、悔しさはバネにして前に進んだ。

秋から冬は流れるように時が進み、迎えた入試本番。初めての受験は東大寺学園高等学校だった。学校に到着すると、緊張と不安で自信がかき消された。この日、初めて緊張に敗れた。手応えのなさに呆然としたまま、学校を後にした。しかし、結果は合格だった。自信がついた。驚きと嬉しさが溢れた。東大寺学園高を受けたおかげで、その後の洛南高等学校、堀川高はリラックスして受けられた。

堀川高合格発表の日。自分の番号を見つけた僕は、これまでの苦悩から解放された。高校受験という一つの通過点を越えた瞬間だった。

たくさんの人に支えられて、僕は今ここにいる。いつも応援してくれて、温かく見守ってくれた家族。最後まで熱心に指導してくださった成基学園の先生方。共に競い合った仲間たち。本当にありがとうございました。

誰かを助けること。これが僕のやりたいことだ。僕にもきっとできるはずだ。僕は医師や研究者になって病気や怪我で苦しむ人たちを助けたいと思うようになった。それを実現するために、高校受験で学んだ経験を活かし、さらなる高みを目指して邁進していきたい。

 

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堀口 渉くん(2017年)

進学校以外の合格校名

・花園高等学校〈特進Aコース〉

わたしの志は、
合格率の高い楽しい授業のできる塾の先生になって多くの生徒を志望校合格に導くことです。
私は、家族からのサポートのお陰で、成基学園で多くの素晴らしい先生方に出会うことができました。私が京都市立 堀川高等学校に合格できたのは、先生方に習ったからです。
私は勉強すること以上に、人に教えることが大好きです。この場所で「こんな先生になりたい!」と思えるたくさんの先生方に出会うことができたので、私も先生方のようになれるよう、より一層勉強に励んでいきたいと思います。

終わりなき挑戦

「冬来りなば、春遠からじ」
「冬」すなわち困難が訪れたならば、「春」すなわち成功は遠くないだろう、という意味です。私はこの精神の大切さを、今回の受験で強く感じました。

私は小学四年生の時、友だちの中学受験をきっかけに、京都市立 西京高等学校附属中学校の合格を目指して入塾し、結果的には六年間、成基学園四条西院教室でお世話になりました。そのため、教室のいたるところに掲示された格言は今でも目に焼きついています。しかし、中学受験までの三年間、他の受験生のように継続して学習することはできず、気が向いた時か、必要に迫られた時にだけ勉強し、その貯金でしばらく遊んですごす、というムラのある勉強法をとっていました。そして、当然結果は不合格でした。しかし、この時に不合格となったからこそ、自分の甘さを知り、真剣に勉強するようになったとも言えます。

怠け者の私が、「勉強しようかな」と思ったきっかけのひとつが、〈日曜進学教室(日進)〉です。毎回正確に成績が出されるので、危機感を覚えます。また、復習という明確な課題を、七日後の次の〈日進〉までにこなさなくてはならないので、「宿題」と「自主勉強」の間のような感覚で、自学自習となりました。〈日進〉では、成績の浮き沈みが大きかったので、「英語でかせぐ」ことを念頭に、総合の成績が一定のラインを下回ることのないようにしていました。「この教科なら自信がある」という教科を一つ作っておくことが大切なのです。

一方で、数学のJ先生や社会のS先生には夜遅くまで質問を聞いてもらいましたし、国語のT先生にもらった桜蔭中学校の問題で、難解な記述問題に対応する力の下地を作ることもできました。この頃から少しずつまじめに勉強をするようになっていきました。しかし、本質的には受験に向けての心構えがまだできないまま、志望校の過去問にもほとんど手をつけずに、二〇一六年を終えてしまいました。

一月になって、ようやく焦りはじめ、「いきなり過去問を進めて、成績を上げて、友だちを驚かそう」と決めました。それからは、誰にも気づかれないようにこっそりと過去問を解き始めたことも思い出の一つです。

〈日進〉や過去問を解いていく中で、今まで足を引っ張っていた数学も、堀川高のレベル程度の点数を取れるようになりました。また、堀川高の理科の問題は、他校とは大幅に形式が違います。大問ごとのテーマにおける高校内容の基礎を、中学レベルの知識を用いて論理的に解いていく問題が多く出題される傾向にあるのです。このような、「暗記」より「思考」を重視した問題が、他の高校の知識問題より私に合っていました。そのため、〈日進〉に比べて過去問は解き易く感じました。逆に〈日進〉では英語が得点源でしたが、過去問は〈日進〉と出題傾向がやや異なっていたので、過去問を解き始めた頃は合格者平均点に届かないこともありました。そのため、入試傾向に対応する学習を、早いうちに集中的に進めることができました。このように、過去問を解くことによって、その高校独自の出題傾向が見えてきます。従って、過去問演習は、志望校に合格するための「正しい努力の方向」を示してくれる、受験生にとっての必須事項です。

過去問も解き終わった二月頃、四条西院教室で出陣式がありました。この出陣式と、その一週間後の面談が、本当の「受験勉強」を始めたターニングポイントでした。「あんた人の質問に答えている場合ちゃうで」「百%の力を出せよ」という一つひとつの言葉で、「あと一週間ぐらい、本気でやろう」と、やっと根本的に意識が変わりました。ここで意識が変わっていなかったら、合格できなかったと思います。受験を通じて、「変わるきっかけ」の重要性を知りました。その後は、英語のR先生や理科のN先生、受付や教務の先生から「大丈夫」という言葉をかけていただき、不安を解消しながら勉強を進めていきました。

私に「変わるきっかけ」を作ってくれたのは、成基学園四条西院教室に他なりません。独自の取り組みなどを通して私たちを支えてくださった四条西院教室の先生方をはじめ、授業後に補習をするなどして、授業以外にもさまざまな場面で丁寧に教えてくださったメンターの方々、多大な刺激を与えてくれた友だち、支えてくれた家族に感謝しています。

通過点である高校受験の結果にあぐらをかくことなく、将来、先生方のような講師になるため、高校でも一生懸命勉強していきます。

「やってやれないことはない やらずにできるわけがない」

 

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宮川 耕太郎くん(2017年)

進学校以外の合格校名

・洛南高等学校〈海パラダイム αプログラム〉 ・京都橘高等学校〈国公立進学(S)コース〉
・東大寺学園高等学校

わたしの志は、
教育関係の職業に就いて、次世代をより良いものにすることです。
この志を立てた動機は、さまざまな先生方と出会う中で、先生の適確な指導と熱意があれば、生徒はみんながんばれると感じ、それに直接的または間接的に携わって、次世代が次世代に貢献してほしいからです。志を果たすために、これまで時事や社会科などの学習で、日本、世界を知ろうと努めました。志にむけて、これから文章からでも世界を知れるよう、苦手な国語にも励みたいです。

根気強く!

二〇一七年二月二十二日、他の高校の合格発表では感じられない喜びを感じられた。目指していた憧れの第一志望、京都市立 堀川高等学校に合格。信じられなかった。

私が本気で堀川高校探究学科群を目指そうと思い始めたのは中学二年生の初めだった。と言うのも、それまでは人前で話す能力はもちろん、学習面でも自信がなかったからだ。しかし、何度も説明会や探究道場で堀川高に行くにつれて、「楽しめそうだ」と思えた。また学習面において、三者面談で担任のO先生に、考えもしなかった東大寺学園高等学校を勧められ、その時は認められる成績になったことがうれしかっただけだが、後に自信を持って勉強できるようになった。こうして一、二年生のときに抱いた不安は当分の間消えていった。

受験勉強で最もつらかったことは〈夏期学習合宿(合宿)〉だ。奈良会場に行くことを知ったくらいで有頂天になった自分もいたが、〈合宿〉での勉強の量と質は肝を抜かすものであった。理解しきれずついていけないことだらけで学習面でのあの不安が現れつつあった。しかし、最難関高校合格には避けて通れないのがこの山〈合宿〉だと気づくと懸命に復習し、問題の解法だけでなく勉強の仕方もわかると自信が取り戻せた。今思えば〈合宿〉で私は「受験勉強」の仕方がわかった気がする。

受験勉強後半、九月以降、〈日曜進学教室(日進)〉はもちろん、会場が山科教室ともあって、あえて〈TNR特訓〉を受講した。試験日程の初日で且つ一番の山、東大寺学園高を突破したら後は勢いにのるだけだと考えたからだ。思っていた通り、そのクオリティはとても高かった。正直、〈合宿〉よりも難しかった。〈日進〉について言えば、第八回以降、当然順位が低迷し、第十回〈ウルトラコース〉では初めて平均を下回った。第四回〈堀川・西京・嵯峨野模試〉でも初のC判定、逃避したくなる結果が次々出た。姿を消した不安が再び襲った。

そんな時、担任で英語のO先生に「英語で落ち込んでいるようやな。質問あったらなんぼでもこいや」と声をかけられ、とても心強かった。すると、おのずとやる気が今まで以上に出てきて、とくに〈日進〉の《ウルトラコース》と〈TNR特訓〉の復習を反復すると、初見の難問、それまでなら歯が立たなかったような問題でも答えに達する又は近づけるようになった。だから、〈日進〉第十五回で好調の時のような結果で締め括ることができた。

よく「練習は本番のように、本番は練習のように」と言われる。入試当日、私はこれを踏まえて、〈日進〉など模試でしてきた「捨て問題」を見分けたり、点取り問題で絶対落とさないよう努めたりすることを生かした。社会のS先生に言われた「細心の注意、最善の注意」も心掛けた。胸の鼓動が高まった時には、さまざまな先生に言われた通りに無理矢理笑顔をつくると、緊張がとけた気がした。これによって入試とは思えないほど平常心でいられ、最善の状態で試験に臨めた。結果としては、何とか受験した高校にすべて合格。洛南高は海αでの合格、堀川高はギリギリでの合格と完璧とは言い切れない結果ではあるが、合格の喜びと達成感を味わえて大満足だ。

私の将来の夢は、教育関係の職業に就くことだ。なぜなら、教え方は違っても自分を含め生徒のやる気を生む先生方と出会う中で、自分もそれに直接、又は間接的に携わりたいと感じたからだ。受験を全力でサポートして下さった先生方、家族への感謝の意味も込めて、どこかで教育に携わりたいという志と向き合っていくつもりだ。

さて、園生のみなさん、受験に向けて心掛けてほしいことは、成績が不安定な時こそ「行きたい」「受かりたい」という志望校、受験校決定の時抱いた強い気持ちを思い出すことです。そうすれば、より早く前向きな意志が戻り、より早く復習にも手をつけられるでしょう。「合格はゴールではなく新たなスタートだ!」と。今となっては言えますが、一ヵ月前までの私は合格に向けて全力でした。落ち込むことはあっても諦めることはないように、根気よく努力を積み重ねてください。

 

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