成功への発信基地「成基」の教育プログラム

人は月、人は種 SEIKI

成基学園の教育プログラム一覧

CONTACT

FREE CALL フリーコール
0120-578380 受付時間10:30-20:00
日曜・祝日除く

メールでお問い合わせ

資料請求はこちら

成基まいくらす

洛南高等学校附属中学校(京都府)の受験録(2017年度)-合格体験記

洛南高等学校附属中学校(京都府)の受験録(2017年度)-合格体験記

洛南高等学校附属中学校の受験録合格体験記

林 晃生くん(2017年)

進学校以外の合格校名

・帝塚山中学校〈男子英数コース 英数クラス〉 ・土佐塾中学校

わたしの志は、
介護用の器械やロボットを開発する人になり、人を助けることです。
ぼくは将来、人の役に立つ仕事に就きたいと思っていました。しかし、人の役に立つ仕事といってもたくさんあります。現在の日本は高齢化社会なので、高齢者を介護する人材が不足していることが問題になっていることをニュースで知りました。そこで、より多くの困っている人の役に立つことができるように、介護用の器械やロボットを作る仕事に就こうと思いました。

努力は報われる

ぼくが知求館ギャラクシー成基学園に入ったのは、五年生のときだった。入ろうと思った理由は、当時通っていたゴールフリーの先生にすすめられたからだ。授業についていけるかどうか心配でいっぱいだったが、お母さんに無理やり入れと言われたので入ることになった。

入ってすぐは、先生の授業を受けてわからないところも聞けずに、ただ通っているだけの日々が続いた。しかし、少し慣れてくると、わからないところは聞きに行けるようになっていった。志望校を洛南高等学校附属中学校に決めた時期も、ちょうどこの頃だった。学校を見学させてもらったとき、在校生の人たちが気持ちよくあいさつをしてくださり、ここは規律のしっかりしている学校だなと思った。それに、この中学校は他の中学校より学力が高いので、自分をもっと成長させられると思った。

六年生になり、〈日曜進学教室(日進)〉の〈エントランスコース〉が始まった。基本の問題が多かったが、理科などで覚えていなかったところが多数あり、点数が全然とれず成績もひどいものだった。ちょうどその時期から、なぜかやる気がなくなっていて、勉強していても集中していないせいか全然身につかなかった。そんなときに担任の算数のK先生との三者面談で、「君の今のやる気は三〇パーセントぐらいだ。このままだと、どこにも受からない。受験後に泣くぐらいなら、今泣いてでも必死でがんばれ。」と言われた。その言葉で気持ちにスイッチが入り、あと少しの期間必死でがんばろうと決意した。今思うと、ここからが本当の受験勉強の始まりだった。

〈日進〉も〈エントランスコース〉が終わり、〈ベーシックコース〉が始まった。〈日進〉の後の解説授業で、わからなかったところや、まちがえたところもわかるようになった。しかし、それでもやり直してもわからなかったときは、通常授業の先生に質問しに行った。そうして先生に質問することをくりかえしているうちに、〈日進〉の〈ウルトラコース〉が始まった。いきなり十一回、十二回と成績が下がり、自分では毎日最大限勉強していたのに、「努力しても報われないじゃないか」と思って、精神的にとてもショックだった。くやしくてくやしくて、涙がとまらなかった。そんなとき、担任のK先生が電話をかけてきてくれて、はげましてくださった。そのときの、「過去の失敗は変えられないけれど、これからは変えられる。」という言葉がとてもうれしくて、もう少しがんばってみようと思い直した。

苦手だった国語や理科の暗記などを、少しずつでもがんばろうと思って毎日取り組んだ。そして、十一月末ぐらいになると、国語と理科の成績が一気に上がった。このときは本当にうれしかった。その後も気をゆるめずに毎日復習をした。そして、十二月の最終面談のときにK先生から、「三教科で受験しようか。」と言われた。それまで自分なりに二年間がんばってきたのに、成績が上がらず足を引っぱっていた社会。二年間がんばってきたのに、という思いがあったが、他の人が社会を覚えている時間を国語や理科に使えると気持ちを切りかえて、三教科受験に決めた。その日から国語と理科の勉強時間を増やした。

入試の当日も、「自分は、もらったプリントや入試問題をやるだけやったのだ」と思えたので不思議と緊張しなかった。だから落ち着いて問題に取り組めた。

そして、発表の日。自分の番号を見ても、本当に合格したという実感がなかった。合格通知書が入った封筒をもらって、初めて実感がわいてきた。

ぼくが受験に合格できたのは、家族の支えや先生のはげまし、共に同じ志望校を目指してがんばってきた仲間がいたからだと思う。この受験勉強で、「努力は必ず報われる」ということを知った。そして、成績が上がったり下がったりして安定しないときは、まちがえていたところの解説を読み、理解するといいということも、この受験で学んだ。

最後に、これから受験をする人たちへのメッセージが二つあります。

一つ目は、どんなに成績が悪くても、もう無理だなとは思わないでください。もし思ったら、テストでまちがえたところをもう一度考え直して理解し、同じような問題でまちがえないようにすることが大切です。

二つ目は、もう終わったテストの結果は変わらないけれど、これからのテストの結果はわからないので、過去のことは忘れてこれからを考えることが大切です。

ぼくはこの受験の経験を生かして、中学校では介護の仕事をくわしく知ろうと思っています。

志をかなえるために、これから特に理科をもっと勉強します。支えてくださったみなさん、本当にありがとうございました。

 

▼もっと見る

伊藤 栞奈さん(2017年)

進学校以外の合格校名

・高槻中学校 ・帝塚山中学校〈女子英数コース スーパー選抜クラス〉
・愛光中学校

わたしの志は、
心臓外科医になり治すことが困難な心臓病をわずらっている方々を救うことです。
私がこの志をたてた動機は、重い心臓病をわずらって、希望を失っているかん者さんに、少しでも希望を持ってもらいたいと思ったからです。心臓外科医は大変な仕事だとは思いますが、人々の役に立つためにがんばりたいと思います。志にむけてこれからも、何事もあきらめずに根気よく物事を行えるようにしていきたいです。

ミスとの闘いとスランプからの脱出

私は志があります。それは医者になるという志です。その志を達成するためには、たくさんの勉強が必要です。そのため、私は一年生から、成基学園に通い始めました。しかし、勉強が嫌いな私は宿題も真面目にやらず、一日で終わらせたりさぼったりしていました。

そんな私が本気で勉強をやろうと決意したのは、四年生の頃、算数科のY先生に出会った時でした。

「こんな怖い先生いるんだ。」

そう思ったのは四年生になってから、たった数週間目の算数の授業でした。Y先生のどなり声でクラスは一しゅんにして凍りつきました。休けい時間にうるさかった私たちに雷を落としたのです。その時から、「今までのゆるい気持ちではいけないんだ」と思い、しっかり勉強するようになりました。

私は四年生から六年生にいたるまで、どの先生にも口すっぱく注意されたことがあります。それは、私の人一倍多いミスの量です。四年生の時からY先生やその他の先生にこのことで何度叱られたことであろうか…。六年生になっても、三回に一回は〈日曜進学教室(日進)〉でミスをし、その度に先生に叱られ、涙がかれるまで泣きわめきました。自分ではミスを直そう、注意をしようと思っても思い通りにいかず、何度もくじけそうになりました。けれども、先生や親の言葉に救われ、立ち直ることができました。

私が一番成長するきっかけとなったのは〈日進〉です。〈エントランスコース〉ではいいスタートをきり、調子が良かったものの、どんどん難易度が上がっていくにつれ、国語の成績が落ちていってしまいました。記述は思い通りに書けず、バツばかりで、一時期は本当に自信をなくしてしまった時もありました。私は、国語がどちらかというとずっと得意な科目だったため、〈日進〉で五十点台になった時は、「私は、本当は国語が苦手なんだ。」と思い込んでしまいました。そんな時、私を救ってくださったのは、国語科のI先生でした。I先生は〈日進〉の次の日、「栞奈は夏休みにもいっぱい茶本も解いてきたし、宿題も授業もがんばってきたやろ。そこで栞奈が自信なくしてどうする!」と、元気づけてくださいました。私はこのI先生の言葉が、再び国語の自信を取り戻すきっかけとなり、I先生の教えてくださったことを忠実に守って解くことができました。〈日進〉の〈ウルトラコース〉からは、国語の成績が以前よりもぐんと伸びていきました。

そうして安心したのもつかの間、十二月にもなり、理科と社会の成績が落ちてきてしまいました。「せっかく国語の成績があがったのに!」と思い、くやしかったです。理科も社会も、ベーシックまでは八十点以上は取れていたのに、〈ウルトラコース〉になったとたん、五十点にまで下がってしまいました。このままではやばい!!と。理科は苦手単元を質問しながら克服し、社会は先生にいただいた教材をかたっぱしから解いて、苦手な歴史を克服しました。その努力もあってか、〈日進〉の〈ウルトラコース〉の後半では理科も社会も良い順位が出て、自信が出ました。〈日進〉は自分の苦手単元を理解し、克服することに大きく役立ったものであり、自分の成長の大きなきっかけになったものでもあると思います。

〈日進〉も終わり、〈正月特訓〉も終わり、ついに、前受験である愛光中学校の入試本番がやってきました。思っていたよりあまり緊張はしませんでした。いつも通りリラックスして試験を受けることができ、結果も良かったため、良いスタートをきることができました。

その後何校か受験をし、本命の洛南高等学校附属中学校の入試本番の日になりました。当日は少し緊張していて、大丈夫かなと不安でしたが、先生や友だちの顔を見たとたん、一気に緊張がほぐれていきました。よく先生方は、「入試本番は二十一回目の日進だと思え」とおっしゃっていましたが、本当に周りは成基学園の人たちばかりで、久しぶりの〈日進〉を受けているかのような安心感がありました。いつも通り平常心で受けられたこともあり、自分なりに手ごたえも大きかったです。

ドキドキしながら迎えた洛南高附中の結果発表。掲示板に一六八番があった時は、あまり合格したという実感がわきませんでした。でも先生方がおめでとうと言ってくださるのを聞いて、少しずつ実感がわいてきました。今までの努力が一気に報われたような気がしました

私はこの三年間先生にたくさん叱られ、泣きわめき、精神的にも強くなり、成長することができました。様々な先生の指導や言葉は一生に残る大切な物になると思います。

最後に、今まで私を支えてくださった先生方、そしてお父さん、お母さん、本当にありがとうございました。

 

▼もっと見る

稲垣 恭輔くん(2017年)

進学校以外の合格校名

・洛星中学校 ・高槻中学校
・東山中学校<ユリーカコース>・愛光中学校

わたしの志は、
患者さんの笑顔を引き出す内科医になることです。
僕は幼い時に病気にかかり、病気を治してくれた内科医の先生がとても優しく今でも感謝しています。だから僕もそのようになりたいと思いました。志を果たすため、これまで志望校に合格するための勉強と、医者として病気にかからないようにスポーツをし体力をつけてきました。これからは、スポーツにさらに力を入れ、だれにでも手をさしのべられる優しい人になりたいと思います。

合格への軌道

僕は四年生の一学期に成基学園に入塾しました。小学校の先輩が成基学園から第一志望校に合格したので、自分も成基学園に行けば第一志望校に合格できると思ったからです。また、自分ももうすぐ塾に入らなければならないと思っていました。

塾に行ってみるととても明るく楽しい友だちやメンターがたくさんいることにおどろきました。僕は塾を「とても真面目で、敵対心が強い所」だというイメージを持っていましたが、これならなじめそうだと安心することができました。

そして、四年生で初めて志シートを書きました。内科医になるということは前から決めていたのですが、そのためにすることや、具体的にどのような内科医になりたいかなどは考えたこともなく、自分の言っていることはまだまだ非現実的なことだと思いました。だから、これから志を実現させるためにがんばろうと強く思いました。

大切なことを知れた一方、四年生のころの勉強は今考えるとよくなかったです。学校から帰ってくるとずっとゲームやテレビを見、宿題は提出日直前の夜に終わらせ、分からなかった所もそのままにしていました。だからしていることは宿題だけで、ほとんど勉強していませんでした。オープンテストでも百位前後という成績でした。

五年生になると、先生が変わってこれまでよりずっと厳しくなり、宿題についても叱られるようになりました。だから、少していねいにしましたが、だらしない生活はほとんど変わっておらず、夜に勉強する時間が長くなってしまったというだけでした。一時はよい成績をキープしていましたが、しだいに悪くなっていきました。そして、担任のH先生に注意されしばらくは努力しますが、それ以降は元にもどってしまうという生活でした。

しかし、五年生が終わるころに、もうすぐ六年生になるというあせりで僕は少しずつ努力するようになりました。すると成績は一気に上がり十位以内を初めてとることができました。僕はこのことが、努力するという習慣を身につけたきっかけだと思います。今思うと努力して本当によかったです。

そして六年生になると、九時に塾に来て、二十二時半まで自習や、授業を受ける生活になりました。そして、先生が言っていたように、夏休みから本気で勉強するようにしました。前から努力していたので、すぐに、慣れることができました。

しかし、六年生になってもはっきりと志望校は決まっていませんでした。だから学校に関係する行事を積極的に見に行くようにしました。そして、勉強もできてスポーツにも力を入れている洛南に行きたいと強く思うようになりました。

また、夏休みには〈夏期学習合宿〉もありました。それは、朝から夜までほとんど勉強するというつらいスケジュールでした。それでも僕はそれに耐えて、自分の限界を突破することができました。本当に受けてよかった講座でした。

そんなことがあって、成績がとても上がり安定するようになりました。また少しずつ、塾に行って友だちと一緒に勉強することが楽しく思えてきました。そんな生活にとても満足していました。

しかし、十一月ごろに突然勉強がいやになってしまいました。すると、四年生の時の生活に戻ってしまい成績が落ちてしまいました。

その時、勉強しないと成績が下がるということを、身をもって感じたので、それからは勉強量を増やしました。その時に、計算問題集がとても便利でした。算数でケアレスミスをすることを防ぐだけでなく、全教科ケアレスミスを防ぐことができました。ミスが目立つ結果になった時には必ず計算問題集をしていました。そうして成績は少しずつ回復していき、最後の〈日曜進学教室〉では三、四教科で二位をとることができました。

受験勉強で、うれしかったことは、友だちがsたくさんできて楽しく勉強できたことです。つらかったことは、苦手な国語です。特に過去問の最初の方はほとんどできず、あせりました。

受験当日は、全く緊張せず、今までの努力に自信がありました。そして、合格発表ではその努力が結果に表れてとてもうれしかったです。

今、一番感謝しているのは両親です。なぜなら、自分が落ちこんでいる時や、うれしい時にずっとそばにいてくれたし、支えてくれたからです。

本当に合格できてよかったです。両親と祖父、メンターと友だち。僕を支え続けてくれたことに感謝しています。

 

▼もっと見る

清水 悠史くん(2017年)

進学校以外の合格校名

・洛星中学校 ・高槻中学校
・土佐塾中学校

わたしの志は、
病気で困っている患者さんを救う医者になることです。
ぼくは、医者という仕事は、人を助ける仕事で、助けた人が元気になっていくのを見るというのは、うれしくてとてもやりがいのある仕事だと思い、医者になりたいと思いました。そのためにこれまで小学校の四年生から成基学園の中学受験コースに通って中学受験の準備をしてきました。これからも、中学校で習う新しいことに対しても、真面目に取り組み、志に向かって努力していきたいです。

夢への第一歩

洛南高等学校附属中学校の入試当日は朝五時半にすっきりとした状態で自然に目が覚めました。不思議に緊張感はなく、「やるだけのことはやってきた」という思いになり、六時に母と家を出ると雪が降っていて寒さのためにぶるっとふるえたことを覚えています。

雪のため一斉激励は中止になりましたが、教室の先生が応援に来てくださっていたので、落ち着いた気持ちで試験会場へと向かうことができました。教室は暖かく、同じ塾の友だちの顔がいっぱいあったので、普段通りの気持ちで試験に臨むことができました。

四科目の試験はあっという間に終わりました。算数の最後の方が少し空らんになってしまいましたが、なぜか、「絶対合格する」という確信をもつことができました。

ぼくが成基学園に入塾したのは小学四年生のときでした。お母さんに中学受験をすることもできると教えられ、興味を持ち、何度かの体験授業を受けた後、入塾しました。最初はとても授業が楽しいという印象でした。

洛南高附中を志望校に選んだのは五年生のときです。見学会に行って在校生が礼儀正しくきびきびとしており、とても感じがよかったです。ぼくもこの学校で将来の夢にむかい、一生懸命勉強したいと強く思うようになりました。

塾での勉強は決して楽ではありませんでしたが、とにかく宿題や復習など決められたことをきちんとやっていき、そこに自分で工夫して自主勉強を少しずつ加えていくようにしました。

六年生になり、ぼくが特に力を入れて取り組んだことは、国語のS先生に知識ノートを作ることをすすめられ、間違えた漢字、ことわざ、慣用句などを書いたことです。また、社会のことについてもできるだけノートに書くようになり、入試の待ち時間など、コマ切れの時間をムダにしないように知識ノートを見るようにしていました。

家庭では、第一志望校の洛南高附中の過去問を中心に算数は二十年分を二回、理科と洛星中学校の算数は二十年分を一回やり通しました。それでも、過去問の量が少ないという不安は残りましたが、算数のT先生と理科のH先生が質問を受けてくれて、よく理解できました。

また、ぼくが受けてよかったと思っているオプション講座は〈夏期学習合宿〉や〈日曜進学教室(日進)〉、〈最難関志望校別特訓〉など他の教室の人たちといっしょに勉強する講座です。そこでは他の教室の優秀な人たちがたくさんいて刺激になりました。

受験を通してつらかったことは二つあります。一つ目は過去問を進めなくてはと思って宿題がどんどんたまっていき、精神的に追い込まれたことです。そのため、寝るのが遅くなり、すい眠時間が少なく、とても眠い思いをしました。

二つ目は、前受けの愛光中学校が不合格になったことです。自分ではとても良い出来だと思っていたのでショックでした。おそらく、ケアレスミスをしていたのだと思います。落ちたのはクラスで一人だけだったことも忘れられない悔しさとなりました。これまでもぼくはときどき愛光中のときのようにケアレスミスで失点するということがありました。それで〈日進〉などで予想外に順位が下がってしまうのです。自分なりにミスを減らす工夫はしてきたつもりですが、愛光中のテストではその悪い部分が出てしまったようです。でも、先生方が励ましてくれたおかげで統一日からのテストでは落ち着いてできました。さらに答案の見直しをきちんとするよう心がけました。

そして、洛南高附中の合格発表の日、ぼくは学校を早退して母と二人で見に行きました。歩いているとき、悲しそうに帰る人や喜んで帰る人とすれ違いました。どちらかというと試験当日よりも緊張しました。そして玄関の高いところに掲示されている合格者の受験番号を見ると、自分の番号がありました。とても興奮して頭が真っ白になりました。母も喜びすぐに父に連絡していました。T先生とH先生に報告すると、先生も喜んでくれました。とにかく、じっとしていられないほどうれしかったです。

このように無事に合格できたのは、両親と先生方のおかげだと思い、とても感謝しています。

受験勉強はつらく、長い戦いだったと思いますが、それだからこそ第一志望の洛南高附中の合格証書を手にしたときの喜びは、格別です。でも、ぼくの夢への歩みはスタートラインに立ったばかりだとも思っています。この中学受験で学んだことを成功体験として将来の夢に生かしてこれからもがんばっていきたいです。

 

▼もっと見る

山田 恭雅くん(2017年)

進学校以外の合格校名

・高槻中学校 ・洛星中学校
・東山中学校〈ユリーカコース〉

わたしの志は、
住みやすい家を設計できる一級建築士になって、住んでいる人を幸せにすることです。
ぼくの志は、一級建築士になることです。ぼくは、物を作ることや、細かい作業や、絵を描くことが好きなので、このことを活かせる仕事だと思っているからです。六年前の東日本大震災で、家を失った人が困っているのを知り、こういう人たちに住みやすい家を設計できる人になりたいと思いました。そして、一級建築士になることは、とても難しいということを知ってから、勉強に力が入るようになりました。

九年間の軌跡

第一志望校の洛南高等学校附属中学校に合格して、これまでを振り返ってみると、ぼくは三歳の時から、「TAM」「SSJ」「成基学園」に行き、その期間を合わせると九年間知求館ギャラクシーに通ってきました。

長い間、知求館ギャラクシーに通ってきましたが、中学受験を意識し始めたのは、小学校三年生のころだったと思います。たまたま見た新聞にのっていた中学校の紹介のところを見て、
「ここなら自分の力を発揮できる!!」
と思い、洛南高附中に行きたいと思ったのがきっかけでした。しかし、その時は、塾の授業に遅れないようにするために、まず、授業を休まないようにすることと宿題を提出することを心がけるくらいでした。授業を休まないようにするために、手洗いと睡眠をしっかりとるようにしました。また、宿題を期限通り提出しようとすることで、毎日勉強する習慣がつきました。

宿題は、五年生、六年生と学年が上がるにつれて、どんどん量が増えてきて、六年生の後半からは宿題がいろいろな中学校の入試の過去の問題を解くことに変わりました。その六年生の宿題で、六月から十月までの間に、いろいろな難易度の問題を合わせて二〇〇本ほど解き、十月からは志望校の問題を一五〇本ほど解き、合計三五〇本になりました。難しい問題を解くと第一志望の学校の合格に一歩ずつ近づいているような気がして、難しい問題を解くことが楽しくなってきました。十二月には、「もっと難しい問題を解いてみたい。」と思えるようになり、中学入試に向かっている自分の成長を感じられるようになりました。

ぼくが勉強していると母をはじめ大人たちは、「大変ね。」とか「つらくない?」などと声をかけてくれましたが、ぼくは三歳のときから知求館ギャラクシーに通っていたためか、学校や塾のある日は三時間、休日は九時間程度勉強することに対しては、「つらい」とは思いませんでした。それよりもつらかったことは、〈日曜進学教室(日進)〉や模試で国語の成績が伸びてこなかったことです。五年生の時から国語の成績はいまいちで、国語の成績が良かった時は他の教科の成績が下がってしまうこともありました。それを改善するために、模試でできなかったところを何度も復習しました。そんなとき算数科のK先生から言われていた
「やればできる、やらなければできない。」
という言葉にはげまされて、あきらめずにがんばることができました。
その結果、最後の〈日進〉では今までにない成績を収めることができ、第一志望の学校の合格にさらに一歩近づいた気がしてうれしくてたまりませんでした。

入試一日目は、大雪警報が出る予想外の天気でした。会場には大勢の受験生がいて、緊張と寒さのせいで手がかじかんでいました。しかし、会場の集合場所で、成基学園の先生たちの見慣れた顔を見て、はげまされたことで、試験に向かうことができました。

そして、三日目の第一志望の学校の入試日には、これまでとは違った緊張感がありました。しかし、成基学園の先生方からの
「お前なら受かる。」
という言葉で緊張感から解放されたように感じ、全力で試験に取り組むことができました。

合格発表の日には試験直後の「できた」という思いは、どこかにいってしまい、心配でたまらなくなり、口数も減っていました。ドキドキしながら発表を待ちました。合格者の受験番号を探しながら、ぼくの手は汗でいっぱいでした。そして、やっと自分の番号を見つけた時には、うれしくてたまりませんでした。合格通知をもらって、
「本当に今まで勉強してきてよかった。」
と思え、成基学園の先生たちに早く合格通知書を見せたくなりました。

ぼくは、成基学園の先生方にとても感謝しています。先生方のアドバイスに素直に従ってきた結果だと思います。これから受験をするみなさんも、決めたことは最後まであきらめずにやり通し、最後には「自分はちゃんとやったんだ」と言えるようにしてほしいと思います。ぼくはこれから、受験を通して学んだあきらめないことの大切さ、先生の話などを聞く大切さなどを中学校生活や志に向けて活かしていこうと思っています。

 

▼もっと見る

受験録アーカイブ

2016年度までの受験録は、こちらからご覧いただけます。

FREE CALLフリーコール
0120-5783800120-578380

【受付時間】
10:30~20:00
日曜・祝日除く