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合格体験記(2013年度)

合格体験記(2013年度)

東進衛星予備校に通い難関有名大学に合格した方々の感動の声をご紹介!

大井 茉菜絵さん

受験に、必殺技なんてない。地道こそが近道だ!

京都大学 医学部 人間健康科学科
大井 茉菜絵さん
京都女子高等学校

私には、母のような保健師になりたいという夢がありました。地域の人々が健康で、安心して暮らせるように日々考え、そして、地域の人々に愛される保健師として働きたいと思ってきました。
しかし大学に入学して、その夢は少し変わりました。今は保健師として地域で数年働いた後、再び大学院で学び、その後は保健師として地域で働く以外にも、研究職や教育者として、人々の健康をサポートすることも選択肢に含まれています。
受験が終わって、将来のことをより具体的に、より現実的に考えられるようになりました。受験は、将来の夢に近づく第一歩です。

受験が終わって、将来のことをより具体的に、より現実的に考えられるようになりました。受験は、将来の夢に近づく第一歩です。

私が、自分自身の受験に対する取り組み方を振り返って、最もよかったと思うことが三つあります。
一つ目は、「前向きな気持ち」、「前向きに物事を捉えること」です。
私は高一、高二ぐらいまでは、何かあったら人には言わずに、落ち込むところまで落ち込むタイプでした。でも高三になって、いよいよ受験まであと一年をきったというときに、「このままいったらあと一年、自分がもたないだろうな。今の自分の捉え方じゃ、あかん。」と思いました。 それからは普段から、「前向きに捉えよう。」と意識して過ごすようになったのですが、そうしているうちに自然と、どんなことも前向きに考えられるようになりました。
例えば、学校のテストや模試を受けたときに、必ずどこか反省点はあるはずです。でも、できなかったところを見て落ち込んで終わりにするのは、もったいないです。できたところに目を向けて、「ここは、できるようになってきたな。」と自分を褒めることは、すごく大事です。できていないところも、「自分のわかってないところを知るためにテスト受けたんやから、苦手分野がわかってよかった。」また、「次、こういう問題出たときは絶対間違えんとこ。」 と、その後につながるように捉えるだけで、切り替えが早くできるし、それからの勉強に対するモチベーションも上がります。

二つめは、「焦りすぎずに自分のペースで努力すること」です。
高三になったら、学校や塾などいろいろなところでカウントダウンがされていて、「センター試験まであと何日!」というのをよく耳にします。高一の四月に残り千日だったのが、三百、二百と減って、二桁になって……、というのが目に見えてわかるので、やっぱり焦りは生じます。そんなときは、「周りはあの塾に通っている。」や、「みんな、あの問題集をしている。」など、周りのことが気になると思います。
実際に私も高三になって、高い志望校を目指している友だちの多くが使っている数学の問題集が気になりました。私は数学が不得意だったので、そのときは、「みんながいいって言っているから、私もやったほうがいいんかな。」とか、 「みんなは、あんな難しい問題やっているのだし、私もあれぐらいのレベルをやらないとあかんのかな。」とか、すごく焦りました。でも一回冷静になって、 「それは、今の自分の学力を伸ばすのに最適じゃない、今、するべきことは基礎をもっとしっかり固めることやな。」と判断しました。その判断は正しかったと思います。あのとき焦りから、周りと同じ問題集をしようとしていたら、もっともっと焦りが募って、基礎すらできないままでした。
入試に近づくにつれて、どうしても周りがしていることは気になってしまうと思いますが、限られた時間だからこそ、今、自分がしなければならないことを、しっかり見極めてほしいなと思います。

三つめは、「強い意志を持つこと」です。当然のことのように感じられることですが、本当に大切だと、受験を終えて改めて実感しています。
私は中高一貫の学校に通っていて、中一のときにオーケストラ部に入ったのですが、そのときから、「高三の引退まで絶対続けよう。」と決めていました。高校に入って、さらにその思いが強くなって、 「勉強だけして、大学受かっても意味ない。高校生の間しかできひんことはいっぱいあるのだから、それを全部やりきったうえで絶対受かろう。」と思うようになりました。その思いがあったので、クラブを高三まで続け、委員会、行事にも積極的に参加し、友だちともたくさん遊ぶことができました。
上手く切り替えができたら、それだけやりたいことをやっても学習時間は確保できるし、「クラブを勉強できひん言い訳にしたくない。」という思いが強かったので、自分に負けたくないと思って、がんばることができました。今では全部、最後までできて本当によかったと思うし、やりたかったことをすべてやり通せたので、自分の高校生活に後悔はありません。

最後に、私は受験を通して、多くの人に支えられていることを改めて実感しました。これまでも、さまざまな人やものに対して感謝をしているつもりではいましたが、受験生になって家族や友だちをはじめ、東進の社員さんやチューターの方々や学校の先生、近所の人……と、数えきれないくらい、たくさんの人が自分を応援してくださり、そして支えてくださっていることに気がつきました。
それは時にプレッシャーにもなりましたが、 「自分を支えてくれている人に、合格という相手に喜んでもらえる形で『ありがとう』って言いたい。」という思いが生まれ、私の大きなモチベーションとなりました。受験は私にとって、日頃あまり意識することのない大切なことに気づける、よい機会でもありました。

だから、これから迎える受験の年を、決して辛いだけのものと思わないでください。そして、今しかできない経験をたくさんしてほしいと思います。

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小瀬 智史さん

艱難汝を玉にす

京都大学 理学部
小瀬 智史さん
京都市立 堀川高等学校

宇宙……「万物を包容する空間」(広辞苑)
中学二年生のとき、この宇宙に心を奪われました。きっかけは、「宇宙が無からうまれた」ということでした。そのとき僕は、 「無から何かがうまれるのはおかしい。絶対何かあったはずだ。」と考え、宇宙について研究したいと思いました。

高校に入り、バスケットボール部に入部しました。一年生のときは、本当に部活中心で、休みの日は遊び、勉強は全然手につきませんでした。しかし、東進で毎週行われる週間面談で決めた授業の予定だけは守ろうと思い、週三日くらいは東進で勉強するようにしていました。このころは大学受験のことなどは実感できず、とりあえず言われたことをする、という意識で勉強をしていました。
ここで一年生のみなさんに、受験が終わった立場の僕からアドバイスがあるとすれば、 「最低限のことだけは、しっかりやっておきましょう。」ということです。

二年生になっても、前期は相変わらず部活中心の生活を送っていました。特に五月、六月くらいは、自分が一番上の学年になったこともあり、より部活中心の生活を送っていました。でも東進には、できるだけ行くようにしていました。なぜかというと、二年生になって授業がより難しくなり、復習なしには、ついていけなくなったからです。
後期になると、学校でも受験生として扱われるようになり、僕も本格的に勉強に取り組みはじめました。勉強といっても、予習、復習にほとんど時間をとられ、自分の勉強は数学の演習くらいしかできませんでした。 予習、復習にこんなに時間をとられたのは、一年生のときにしっかりと予習、復習の習慣をつけることができなかったからです。一年生のうちにその習慣をつけていないと、本当に後で苦労します。必ずつけておきましょう。
さて、 受験勉強において、勝負は二年生の時期だと思います。というのも、三年生は全員が勉強をし始めているのに対し、二年時は全員がまだ受験モードになっていないからです。ライバルとの差を縮める、また差を広げるチャンスなのです。実際、僕も二年生の初めは模試での校内順位が六十位ぐらいだったのが、二年生の終わりには二十位程度まで上がりました。二年生のみなさん、例え今の成績が悪くても、諦めないでください。今からやれば絶対に間に合います。また、成績が良くても決して油断しないでください。

三年生になって、いよいよ本格的に進路を考え始めました。最初に述べたように、僕は宇宙について学びたかったので、宇宙関係に強いと聞いていた東北大学を、夏に一度見に行きました。しかし、夏休み明けの担任との二者面談で、「東北大学でできることなら京都大学でもできるし、京都大学にしたら?」と言われ、もともと京都大学に興味もあったので、京都大学を志望することにしました。
一方で僕は、五月に部活を引退してから、まだ完全に受験モードに切り替えられずにいました。それもあって、六月の模試でE判定を取ってしまいました。そこで、ようやく本当の意味で危機感を持って切り替えることができたと思います。 ここで切り替えることができたのも、部活をやっていたおかげだと思います。部活を通して、何かに打ち込むという姿勢を学べたからです。部活と勉強の両立は、確かにとても難しいことです。しかし、部活から学べることはきっとあるはずです。ぜひ、後輩のみなさんには部活を続けてほしいと思います。

「艱難汝を玉にす」
という故事成語がありますが、まさにその通りだと思います。自ら困難に向かっていってほしいと思います。
受験直前になって、僕は改めて自分の環境のありがたみを感じました。勉強できるということに、またそれを支えてくれた親や仲間たちに、 特に親には、それまで生意気ばかり言ってきて、親孝行もろくにして来なかったので、第一志望校に受かることが一番の親孝行だと思い、「絶対に受かってやる。」と、強く思いました。
そして、センター試験本番では、なんとかボーダーにのせることができました。また、このときあまり緊張せずに挑めたのは、二ヵ月に一回ある東進の、「センター試験本番レベル模試」で練習をしっかりできたので、「いつも通りやれば大丈夫。」と思えたからだと思います。
しかし、二次試験のときは、さすがに緊張しました。でも、東進の担任助手の方が、 「いつも通りやれば絶対受かる。」と言ってくださったことを思い出し、いつも通りやることだけを考えて試験を受けました。
センター試験のときも二次試験のときも、「いつも通りやる」ということに支えられました。「練習は本番のよう、本番は練習のように」まさにこの通りだと思います。 過去問を解くときに、本番のように緊張した状態で解き、合格最低点を取れるようになっておけば、本番は「いつも通りやる」だけでいいのです。このことを心掛けてがんばってください。

最後に、三年生のみなさん。あと一年、きっと辛いことばかりだと思います。けれども、周りで支えてくれている人への感謝を忘れず、最後までがんばってください。 一人では何もできません。でも、やるのは自分です。気持ちを強く持って、がんばってください。

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廣瀬 慎さん

東進で過ごした二年を振り返って

京都大学 工学部
廣瀬 慎さん
京都府立 桃山高等学校

この春、僕は京都大学 工学部 工業化学科に合格することができました。東進での二年間を振り返ってみると、部活との両立や伸びない成績、センター試験の失敗など、さまざまな困難に直面しました。そのときは非常につらかったですが、充実した日々を送れたと思います。

僕は高校一年生の一月に、東進に入学しました。自分のペースで受講できるので、部活と両立できると思ったからです。このときは、なんとなく京都大学を志望していましたが、受験はあまり意識していませんでした。
高校二年生の十一月までは、東進で授業を受けたり、学校の宿題をしたりしながら、部活にも精を出していました。十二月になると東進では学年が上がり、三年生になります。授業内容もハードになり、演習量も増え、本格的に勉強し始めましたが、まだ受験を意識していませんでした。

しかし、「センター試験同日体験受験」の一週間後、「京大本番レベル模試」を受けたところ、「センター試験本番レベル模試」で八割を取っていた得意の化学でさえも、全く歯が立ちませんでした。 このとき初めて、京都大学の入試の難しさを実感し、一年後の受験を見据えて勉強し始めました。受講やその予習・復習、「高速基礎マスター講座」に、より力を入れて取り組みました。勉強量を増やしたおかげで、二月の「センター試験本番レベル模試」では、成基の東進で総合トップテンに入りました。

しかし、春休みに入ると部活の最後の大会を一ヵ月後に控え、練習や遠征が多くなり、勉強時間を確保できなくなりました。部活に入っていなかった同じ高校の友だちはハイペースで受講を進め、四月の「センター試験本番レベル模試」では、追い抜かされてしまいました。また、僕が所属していた卓球部が団体で近畿大会まで勝ち上がり、引退が七月末になったのですが、その間、五月、六月に部活を引退した友だちは勉強量を増やし、成績を上げていきました。

この頃は、勉強したいのに時間が取れず、成績が伸びないというもどかしさがありました。 また、六月に府下大会を勝ち進み、チームの目標だった近畿大会出場を決めたときは素直に嬉しかったですが、 ただでさえ他の友だちより勉強時間が遅れているのに、部活をやっていていいのかと悩みました。けれども、東進に入学したときに部活をやりきると決めていたので、最後までがんばろうと思い直しました。

勉強に関しては、質の良い勉強を心がけました。具体的には、一日一コマ授業を受け、最低限の演習で授業内容を理解しました。そして悔いなく引退した後は、人より遅れている状況にあるという意識もあり、集中して勉強できました。受験の天王山と言われる夏休みも、一日二、三コマ授業を受け、十分問題演習をこなし、有意義に過ごせました。
この結果、八月の「センター試験本番レベル模試」では、六月から五十点も上がり、夏休み以降の「難関大本番レベル記述模試」でも、集中して勉強した成果が表れてきました。秋以降も着々と成績を伸ばせたのですが、 夏休みからの成績の向上の要因になったのは、夏前に基礎を固めておいたことだと思っています。基礎を固めるとは、ものごとの本質を理解しておくこと。問題演習とは、理解したことを正確に速く使いこなせるようにする訓練のことだと思います。前者が欠けていると問題が解けないし、後者が欠けていると制限時間内に解ききれません。受験勉強をする際に、インプットとアウトプットをしっかりすることは、非常に重要だと思います。

ここで話は変わりますが、僕が京都大学に合格できた要因として、二つ挙げたいと思います。
一つ目は、スケジュールを立てることです。現役生は学校もあり、少ない時間でいかに成績を伸ばす勉強をするか、が重要です。 時間を有効に活用するために、スケジュールを立てることで、やるべきことがはっきりとわかり、ダラダラと勉強することがなくなります。
僕は、十二月頃までは模試ごとに具体的に目標を立て、達成するために一週間、一日単位でスケジュールを立てました。また、センター試験や二次試験の直前は、「あれもしなきゃ、これもしなきゃ。」と焦ってしまうので、 最低限やるべきことを書き、やれば消すという作業を行い、自分はこれだけやったのだと目で見てわかるので、安心感を得ることができました。

二つ目は、京都大学に合格したいという強い気持ちです。夏休みに京都大学のオープンキャンパスがあり、施設を見学したところ、その素晴らしさに驚きました。そのとき、絶対京都大学に入って研究したいと思いました。ただ、工学部か理学部で迷っていたところ、高校三年生の十一月に、学校の人権学習で障害者の支援に携わる方の講演を聴いて、本気で工学部に入って勉強したいと思うようになりました。
その内容は、ランナーだった人が事故で片足を失い、走れなくなって絶望していたところ、講演者の方が義足を作られたことで、再び走れるようになったというお話でした。義足のランナーから「ありがとう。」と言われ、すごく嬉しかったと話されていたことが、とても印象に残りました。そして 僕は、初めて心から人の役に立つ仕事をしたいと思い、生活を豊かにすることに直結した学問を学べる工学部に入りたいと思いました。センター試験の国語で大失敗をしましたが、絶対に京都大学に合格するという強い信念があったからこそ、逆境にも負けず、合格できたと思います。

最後になりますが、伏見丹波橋校の校舎長や担任助手のみなさん、そして両親には非常にお世話になりました。ありがとうございました。
僕の合格体験記を読んでくれているみなさん、特に受験生に向けてですが、ぜひともこの一年を楽しんでほしいと思います。文化祭や体育祭などの学校行事、勉強中に励まし合った仲間と過ごした時間、そして受験。辛いことや楽しいことがたくさんあるので、充実した一年を送ってください。

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原田 千菜実さん

大学入試を終えて

京都大学 法学部
原田 千菜実さん
滋賀県立 膳所高等学校

私の将来の夢は、司法に携わる仕事に就くことです。私は小さな頃から、弁護士になって弱い人を助けたいという思いを抱いてきました。
その思いを持つきっかけとなったのは、幼い頃に見たテレビドラマです。そのドラマで、主人公である女性弁護士が、弱者である家族を助けるために活躍する姿、凛として颯爽とした姿に強い憧れを抱いたからです。

あの女性弁護士のようになりたい、というところから始まっています。そして、その思いは歳を重ねるたびに、大きく強くなりました。 そして、勉強を通じて社会の仕組みを知るようになると、 「将来は法曹界で活躍したい。法律で社会に貢献して、周囲の人々の生活をより豊かなものに変えていきたい。」と思うようになりました。その思いは高校に入ってからもますます強くなっていき、大学では絶対、法律を学びたいと思うようになりました。そして、学校の先生や先輩から話を聞いたことがきっかけで、京都大学の校風に憧れ、二年生の秋ごろ、京都大学法学部で学びたいという思いを強く持つようになりました。

センター試験本番まで残り一年を切った二年生の冬、受験に向けて本格的に勉強をしなければならないと考えていた私は、集団授業とは異なり、自分のペースで無理なく学習することのできる東進に入ることを決めました。 私の所属していたソフトテニス部は、ほぼ毎日練習があったため、東進の学習スタイルは自分にとても合っていました。入学してから春休みが終わるまでは、部活とのバランスをとりながら受講を少しずつ進め、自分の学習ペースを作り上げることに努めました。

春休みが終わり、三年生、つまり受験生としての一年が始まりましたが、六月の初めにある部活最後の大会までは、それまでと変わらない日々が続きました。大会が近づくにつれて部活にかける時間がますます増え、東進での受講や学校の予習・復習が満足にできない日も多くありました。さらに、団体戦で七月上旬にある近畿大会への出場権を獲得したため、夏に入っても完全に受験モードに切り替えることはできず、週に数回は部活に行き、その他の時間を勉強に充てるという生活でした。
そのため、私が受験を見据えて本格的な勉強を始めることができたのは、七月の終わりでした。周囲のほとんどの人は、すでに受験勉強を始めていたため、開始時期が遅いことで焦ることもありました。
しかし、 部活を最後までやり遂げ、目標であった近畿大会出場を果たせたことで、第一志望大学合格という次なる目標に向けて、努力を続けようと気持ちも新たになり、毎日東進へ行き、朝から晩まで集中して勉強を続けることができました。

私は数学が苦手だったので、数学の授業を数多く受講し、苦手を克服することに努めました。その結果、八月末の「センター試験本番レベル模試」では、数学の点数が大きく伸びました。しかし、手つかずのままだった理科・社会の点数は、六月のものとほとんど変わらないか、それ以下だったので、夏休みの過ごし方を反省するとともに、九月からの学習に向けて、自分の勉強方法を改める必要がありました。 「センター試験本番レベル模試」は、自分の実力を二ヵ月ごとに測ることのできるいい機会であり、センター試験本番の形式に慣れるとともに、私のように自らの勉強方法を見直すきっかけにもなるので、この模擬試験を毎回受けることには、大きな意味があると思います。

秋からは、基礎固めから応用力養成へと学習目標を切り替え、「志望校対策講座」の受講を全て終えて過去問演習を始めました。秋には、二次試験対策の模試が多くありましたが、どれも思うようには結果が出せず、この時期が受験生としての生活の中で一番つらかったです。しかし、校舎長や担任助手の方に励ましてもらいながら気持ちを切り替え、地道に日々の勉強を続けました。

センター試験一ヵ月前からは、センター試験対策に重点を置いて勉強に取り組むようになりました。その甲斐あって、試験結果は満足できるものとなり、自信を持って二次試験対策をすることができました。
センター試験の成功は、得点に直結するだけでなく、二次試験に対する不安をも和らげてくれたため、センター試験対策に力を入れたことはとてもよかったです。また、 東進では受験までのカリキュラムをきちんと提案して進捗を管理してくれます。東進のカリキュラムを目安に学習を進めたのがよかったと思っています。

二次試験の前日はぐっすりと眠れ、本番も驚くほどに緊張しませんでしたが、苦手な数学で計算ミスに気づき、焦りが生じてからは、落ちついて問題を解くことができないまま試験が終了しました。試験を全て終えてからも数学での失敗が尾を引き、合格発表までは暗い気持ちで過ごしました。
しかし合格発表当日、自分の受験番号を見つけたときには自然と涙があふれ、家族もとても喜んでくれました。今までがんばってきて本当によかったと、心から感じた瞬間でした。

私が第一志望の京都大学に合格できたのは、家族や友人、学校の先生、そして東進のみなさんのおかげです。自分の努力だけでは合格という栄冠を手に入れることは不可能で、周囲の支えがあったからこそ志望校に合格できたのだ、と受験を終えた今、本当に強く感じています。

受験は長いようで、あっという間です。第一志望の大学に合格したいという強い思い、そして将来の自分の夢を持ち続ければ、苦しい受験勉強も楽しくなると思います。後輩のみなさんにも、それぞれの目標に向かって、がんばっていただきたいと思います。

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今西 真佑奈さん

成基六年間の集大成

京都大学 農学部
今西 真佑奈さん
京都教育大学附属高等学校

私の志望校は、一年生の時から初志貫徹し、京都大学 農学部でした。
高校入学時から生物が好きで、特に、遺伝子の分野に興味があり、自分の体の中でこんなことが起こっているのかと思うと、すごくわくわくしました。そのころから、 遺伝子について、より多くのことを学びたいと強く思うようになり、バイオテクノロジーに興味を持ち始めました。
そのバイオテクノロジーにおいて、日本で最先端の研究が行われているのは京都大学だったので、私の成績ではかなり厳しかったのですが、京都大学 農学部を志望することにしました。結果は、森林科学科という、バイオテクノロジーとは少し離れた学科に進学することになりましたが、夢の京都大学に合格するに至った、私の受験生活を紹介したいと思います。

中学生のときに知求館ギャザ 成基学園に通っていたことから、高校入学と同時に東進 南彦根校に通い始めました。二年生の冬までは、時間に限りがあったので、東進へは週二回しか通うことができませんでした。時間に限りがあった理由の一つとして、通学に片道一時間半かかっていたことがあります。高校入学当初は、長時間の不慣れな電車通学と新たな情報で溢れる高校生活で、自分自身がいっぱいいっぱいになっていました。家に帰るとくたくたで、とても東進で勉強しようという気にはなれませんでした。また、私の高校生活の中でもっとも力を入れていた水泳に、時間を多くかけていたことこそ、時間に限りがあった大きな要因でした。

姉の影響で0歳のころから水泳を始め、アスリートを養成することで有名なスイミングスクールに、幼稚園の頃から通っていました。小学二年生になると、より練習の厳しい選手クラスにあがることができ、週五日の練習をずっと続けていました。小学校六年間はタイムが落ちることもなく、伸び伸び楽しく水泳をしていましたが、中学一年生のとき、スランプに陥ってしまいました。周りがタイムを伸ばしていく中、全くタイムが伸びず、苦しい時期もありました。 しかし、 「努力はいつか実るはずだ!」と毎日自分に言い聞かせ、コツコツと泳ぎ続けました。そして、がんばった結果、タイムも少しずつ伸びていき、スイミングスクールの全国大会出場や、全日本中学選手権出場の後一歩のところまで、タイムを伸ばすことができました。

高校に入っても、女子高生の楽しい高校生活とはかけ離れた、しんどい練習の毎日で、何回も辞めたいと思ったこともありました。しかし、水泳が私の生活の一部になっていたので、辞めるに辞められず、水泳を続けてきました。その結果、高校二年生まで近畿大会に連続出場することができました。 挫折を繰り返しながらも、コツコツ続けることの大事さを水泳で学ぶことができたので、このことは、とてもいい経験になったと思っています。

二年生の近畿大会出場を機に、水泳を引退しました。いざ、受験勉強を始めてみると、水泳にかけた時間がもたらした代償が、どれほど大きなものだったのかということに気づかされました。学校や塾で習ったことが、全然身についていなかったのです。 そして私は、今まで水泳に費やしてきた時間をすべて勉強時間にあて、毎日、何があっても夜十時まで東進で勉強することに決めました。
水泳を納得する形で引退できていたので、気持ちの切り替えはうまくいきました。今まで勉強できていなかった分、勉強に力を入れ始めると、模試などの点数が上がっていき、勉強した分の成果が目に見えてわかるようになってきました。しかし、そんな簡単に二次試験の力はつかず、三年生の八月の、「京大本番レベル模試」ではE判定。勉強しても勉強しても、京都大学の問題は手強く、いつになったらこれが解けるようになるのかと、毎日悩んでいました。この時期が、私の受験勉強の中で一番辛かった時期かもしれません。
その辛い時期の、京都大学 山中伸弥教授のノーベル賞受賞は、私の背中を押してくれるいいニュースでした。もう一度、「絶対に京都大学に行くんだ!」と気持ちを入れ直すことができたのです。

しかし、現実は厳しいものでした。十一月の「京大本番レベル模試」ではD判定。このままでは絶対受からないと思い、「私には京都大学を受ける実力がないのでは……。」と志望校を下げるべきかどうか、本当に悩んだ時期もありました。
しかし、そんな時にも両親は私のことを信じて応援してくれていて、「初志貫徹でがんばれ。」と言ってくれました。そのおかげで「京都大学に行きたいと決めたのは自分だから、結果がどうなろうと最後までがんばろう。」と決心して、気持ちを改めて勉強に打ち込むことができました。ここで諦めずにがんばったからこそ、合格することができたと思います。

このように、受験生活を振り返ってみると苦しいこともいろいろありましたが、コツコツと勉強し続けたことが、いい結果につながったのだと思います。コツコツの努力は、大学受験だけでなく、将来、自分が研究者として活動していく中でも、忘れないようにしていきたいと思います。

私は大学進学後、東進 南彦根校で担任助手をさせていただきます。これから受験を迎える後輩に、地道に努力してがんばってほしいと思いますし、がんばる生徒を私が後押ししたいと思います。
大学受験という貴重な体験をする私を、応援し支えてくださった東進のみなさん、友だち、先輩、後輩、そして両親には本当に感謝しています。ありがとうございました。

最後に、これから受験する後輩のみなさんにアドバイスしたいと思います。受験期は、精神的にも体力的にも辛いことがたくさんあると思います。しかし、「自分なら大丈夫」と信じて、前向きに自分の夢の為に努力して欲しいと思います。そのような気持ちを持つ受験生を後押しできるよう、これから私も担任助手として、がんばりたいと思います。

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山内 大輝さん

夢実現のための第一歩

京都府立医科大学 医学部 医学科
山内 大輝さん
洛星高等学校

「医者になって、病気やけがで苦しむ多くの人たちを救いたい」
この思いは、父親が医者である私が、小さいころから抱いていたものであった。その後、中学・高校と運動部に所属し、また、自分がケガをした経験から、 私の夢は、「オリンピックに出場するようなスポーツ選手を支えられる整形外科医になること」へと具体化していった。
自分の夢を実現するため、私は理系科目、特に数学・物理が苦手であるのにもかかわらず、医学部を目指すことにした。周りには、 理系科目が苦手だから文系にしたという友だちも多くいたが、大学合格が目的ではなかった私に迷いはなかった。

このようにして進路を決めた私であったが、部活がかなり厳しいものであったため、二年生の夏までは、ほとんど勉強をしない生活を送っていた。また、テレビが大好きな私は、家で勉強することが大の苦手であった。部活をし、疲れて帰宅すると、テレビを見て寝るという生活。これでは、模試で思ったような成績が取れないのも当然だった。
自分の夢を叶えるために勉強しなければならない、ということはわかっているが、家では勉強できない。そんな私にとって、 東進の「毎日登校・毎日受講」は、とても魅力的であった。さらに、友だちやホームページから東進の情報を得ると、部活との両立が可能であることもわかり、そこにも魅力を感じた。
「東進なら、自分の夢を叶えるために、がんばれる。」

そう思った私は、東進に入学することにした。

東進に入学した私は、三年生の六月に部活を引退するまで、部活中心ではありながらも、以前とは全く違う生活を送るようになった。周りに同じように、 自分の夢の実現に向かって努力する仲間がたくさんいたことが、部活で疲れている状態で勉強する私の励みとなった。

部活を引退すると、受験勉強中心の生活となった。学校の授業が終わると、志望校合格に向かって勉強する日々が続いた。しかし、この頃は受験生であるという自覚もまだ甘く、なかなか集中できないこともしばしばあった。前よりは勉強しているが、明確な意識を持っておらず、周りに合わせて勉強しているふりをしているような状態だった。このような生活は、夏休みになっても続いてしまい、成績は伸び悩んでいた。

そして迎えた、夏休み明けの模試。結果はE判定。この結果を見た私は、さすがに危機感を覚えた。
「このままでは、自分の目指す道に進めない。自分の夢をあきらめるわけにはいかない。」
そう感じた私は、気持ちを入れ替えて勉強しはじめた。今までよりも東進に行く時間を少しでも早くし、東進にいる間は少しでも長く勉強するようにした。
この意識の変化は非常に重要だった。それまでより明確な意識を持つことで、生活が全く変わるのだ。ただなんとなく、大学を目指すのでは、自分の弱い部分に負けてしまう。 大学受験は目標ではなく、自分の夢を実現するための段階の一つであることを、心に留めておくことが大切だ。私の場合、それだけで大きな変化があった。

しかし、いくら意識が変わったとはいえ、勉強が辛くなることは何度もあった。 そのときにお世話になったのが、東進の担任助手のみなさんだった。担任助手のみなさんも、厳しい大学受験をのりこえてきた現役の大学生の方々なので、受験生の気持ちをよくわかってくださり、その経験や大学生活の話を聞くことで、モチベーションを高めることができた。また、東進で同じように自分の夢に向かって努力する仲間にも励まされた。
「辛いのは自分だけではない。みんなと共に、それぞれの夢に向かってがんばろう。」 自分一人で勉強していては、味わうことのできない気持ちを経験することができ、また、辛い気持ちも少なくなった。

そして私は、自分の夢を実現するための志望校に合格できたのだが、受験に必要なのは、勉強だけではないということを強く実感した。
自分を支えてくれた両親、共にお互いの目標に向かって努力した友人、受験を応援してくださった担任助手のみなさんなど、多くの方々の協力によって合格することができた。これらの方々への恩返しとしても、私は必ず自分の夢を実現しよう、しなければならない、と思う。

これから大学合格を目指す後輩のみなさん、ただ勉強すればいいというわけではない、ということを覚えておいてください。勉強するのは、大学に合格するためだけではない。みなさん自身が抱く夢を実現するためのものだ。この意識を持ち、そのために必要な段階としての大学入試合格に向けて、日々努力し続けてほしい。

最後になりましたが、両親、校舎長、担任助手のみなさん、そして共に切磋琢磨した友人のみんな、本当にありがとうございました。

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瀬越 一毅さん

受験を終えて

京都府立医科大学 医学部 医学科
瀬越 一毅さん
洛南高等学校校

僕は今回の大学受験で、長年の夢であった医学部合格を勝ち取ることができました。僕が医学部を志望したのは、何物にも代えがたい命を救い、そして、直接的に人に貢献できる仕事であることに強くやりがいを感じたからです。将来は医師として、人命に関わることで社会に大きく貢献できればと考えています。

僕が東進に入ったのは、高校一年生の頃でした。理由は、あまりに僕が勉強をしなかったからです。中高一貫校に通っていた僕は、中学校での三年間は全く勉強をせず、遊び呆けていました。高校に入っても勉強を始めようとしなかったので、ついには親に強制的に入学させられてしまいました。それでも入学してしばらくは、あまり熱心に通学することもなく、一週間に二日行くか行かないかという程度でした。当時、僕は勉強をしなくてはいけないとは思っていたものの、なかなか始めようと決心することができずに、だらだらと毎日を過ごしている状態でした。

そんな僕にも、勉強を始めるきっかけがありました。それは、僕が高校一年生のときに姉が受験をしたことです。 姉は、僕とは違う高校に通っており、部活にも一生懸命取り組みながら、医学部現役合格に向けて勉強を進めていました。そんな姉が焦りを感じ、莫大な学習量をこなしている姿は、僕にとって、あまりにも大きな衝撃でした。コツコツと勉強をしていた姉ですら、こんなにも勉強しなければならないのか、と感じました。その頃から、僕も姉と一緒に閉校時間まで自習をするようになりました。どのくらい勉強するかに関係なく、とにかく毎日登校し、閉校時間まで東進にいるという習慣がついたことは、第一志望校に合格できた要因の一つだと思います。ただ、そこでいきなり猛勉強を始められるようになるほど、僕は真面目な性格ではなかったので、徐々に勉強するようになっていきました。それに従い、学年最下層だった僕の成績は少しずつ上がっていきました。

しかし、次第に成績が伸び悩んできた頃、勉強に対しての気持ちを変える二つ目のきっかけがありました。それは、二年生の冬に行われた「センター試験本番レベル模試」で、同じ高校の友だちが僕以外、全員ランキング表に載っていたということです。ランキング表に載りたいとは特に思っていなかったのですが、さすがに悔しさを覚えました。友だちはみな、これほど賢かったのか、自分はこんなに遅れていたのか、ということを実感しました。そこから僕は本気を出して、センター試験の勉強を始めました。ただこの時の動機は、受験勉強をしようという意識の高まりではなく、ただ、「周りの友だちに勝ちたい!」という気持ちだけでした。それでも今思い返すと、 この時にセンター試験の勉強をし、三年生の夏休みまでにセンター試験対策の勉強を終わらせていたこともまた、第一志望校に合格することができた大きな要因の一つだったと思います。

そして、受験生として勉強した夏休みを終えて、高校三年生の九月、体育祭がやってきました。僕の通う学校には、体育祭の期間中はみなが本気で体育祭に打ち込み、全く勉強しなくなるという風習がありました。そのため、僕も一ヵ月は勉強のことを忘れて、体育祭に打ち込みました。このときは本当に楽しかったです。ただ、体育祭が終わってからの周りの雰囲気は本気の勉強モードで、本当に恐ろしいものでした。それに流されて僕も、とにかくがんばりました。ここからセンター試験前まで、ずっと二次試験の勉強ができたことは、本当によかったと思っています。

このように、僕の受験勉強は様々なきっかけがあって、全力でがんばることができたと言えます。勉強をすることの重要性を教えてくれた姉の存在、一緒にがんばった兄弟・友人の存在、東進という勉強をする場の存在、でも、 なによりも自分の医師になりたいという強い思いは、僕の受験勉強のモチベーションを維持し続けてくれました。そしてその結果、勉強に関して、やれるだけのことはやり尽くしたという自信もつきました。

受験生になる後輩のみなさんに伝えたいことは、第一に夢をしっかり持ち続けることです。夢はつらいときでも、自分に勇気を与えてくれます。
第二に、切磋琢磨できる友人を作るということです。僕の場合は学校だけでなく、 同じ東進の校舎で東京大学や京都大学を目指して競い合ってきた、別の高校の友人の存在も大きかったと思います。彼らとの競い合いによって向学心に火が着き、自分の力がついていったと思います。
そして最後に、後悔しない高校生活を送ってほしいということです。そのために一番大切なことは、何事にも全力で臨むことです。何事にも全力で取り組まずに適当な生活をしていると、きっと後悔します。 一年生や二年生の人は部活に所属している人も多いでしょう。でも、やるからにはしっかりと取り組んでください。部活も勉強も全力でやらねば成功しないと思います。後輩のみなさん、全力でやりましょう。

僕はこれから、夢だった医師という仕事に向けて、第一歩を踏み出します。これからも全てのことに、全力でぶつかっていけるよう、がんばっていきます。

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服部 太亮さん

受験勉強

大阪大学 工学部
服部 太亮さん
滋賀県立 膳所高等学校

私は受験勉強を通して物理が好きになったことで、将来、物理学を活かした専門職に就きたいと思い、工学部を志望しました。しかし、具体的に何になりたいのかは、まだ決まっておらず、大学で勉強しながら、自分が本当にやりたいことを探そうと思っています。

私は高校時代、サッカー部に所属しており、当初、部活と学校の勉強だけをしていました。東進に入学したのは二年生の二月ごろで、入学したきっかけは、友だちが通っていたことや、東進の映像授業に魅力を感じたことなど、いろいろあります。しかし一番の理由は、部活を引退してから受験勉強を始めたのでは、現役合格できないと感じたからです。
入学したての頃は、まだ部活もしていて大変でしたが、 東進のシステムは部活と勉強の両立に、とても有利だったと思います。

しかし、部活を引退してからも学園祭が忙しく、本格的に受験勉強を始めたのは、三年生の夏休みでした。夏休みに入る前、私には受講しなければならない講座が大量に残っており、夏休みの半分ぐらいは一日に四コマ受講していました。そのため、夏休み中の演習量は少なかったと思います。これを読んでいる受験生には、 夏休みの演習時間を確保するため、夏休みまでにできるだけ多く受講しておくことをオススメします。

しかし、夏休みに時間をかけてじっくり受講してよかったと思う講座があります。それは、苑田尚之先生の「ハイレベル物理Ⅰ・Ⅱ①②」という講座です。冒頭で受験勉強をしている中で物理が好きになったと述べましたが、正確にはこの講座を受講してから好きになりました。
名前の通り、内容はレベルが高く、そのため、苑田尚之先生の言っていることを一度の受講で理解することは難しく、一コマ受講するのに三時間ぐらいかかることも多々ありました。しかし、この講座では物理学の少し込み入った部分も聞くことができ、物理のおもしろさを知ることができます。また、大学一回生での勉強にもスムーズに入っていくことができます。
物理は法則がたくさん出てきて、中にはひたすらに暗記する人もいるかもしれませんが、それでは応用力は身につきません。この講座では法則の導き方も学ぶことができ、苑田尚之先生の言っていることをマスターすれば、一般的な問題集に載っていないような問題にも対応することができるようになり、きっと物理が得点源になると思います。

この講座だけでなく、志田晶先生の「難関二次・私大数学Ⅰ・A/Ⅱ・B」や、鎌田真彰先生の「新新ハイレベル化学Ⅰ・Ⅱ①②」、福崎伍郎先生の「福崎伍郎の入試英語@勝利のストラテジー」など、東進にはおすすめしたくなる講座がたくさんあります。また、コラムに書いていますが、過去問演習講座もぜひ取ってほしい講座の一つです。

しかし、 どんなに良い講座を取ったとしても、ただ受講するだけでは真の力はつきません。東進の先生方は難しい問題も簡単に解いてしまうので、その解説を聞いていると、自分も簡単に解ける気がしてしまいます。しかし、残念ながら解説を聞いただけでは解けるようにはならず、実際に自分で解かない限り自分の力にはなりません。だから、東進で学んだ解き方をただ覚えるのではなく、自ら学んだ解き方で演習を積むことが大切です。
そこで、 私は担任助手の方と相談し、毎日教科ごとに何題解いていくかという計画を立て、実行しました。数学や化学は単元ごとに基礎問題から重要頻出問題など、さまざまな問題を解き、英語や国語は長文問題を中心に二次試験対策をすることで、本番では、ほとんどの問題に解答することができました。

ここで、 東進の良いところの一つを挙げるとすれば、それは大学生の担任助手の方がいることです。週に一回必ず面談をしてくださり、受講の進捗状況や模試の成績についてのアドバイスなどはもちろんのこと、担任助手は現役の大学生なので、大学がどんなところか、自分が受験生だったころにどんな勉強方法だったか、どんな演習をしたのかなど、役に立つアドバイスをたくさんしてくださいます。問題集の解説は不親切なものもあり、一人ではわからないときがあります。そんなとき、担任助手に質問すれば、一緒に考え、優しく教えてくださいます。担任助手の存在は、東進の大きなメリットの一つだと思います。

今まで講座のことや演習のことなど、いろいろ書いてきましたが、 最後に一番伝えたいことは、「息抜きも大切」ということです。受験勉強は長く続きますが、毎日長時間ノンストップで勉強し続けることは、おそらく不可能です。私の場合は、同じ東進に通う友だちと、休憩するときはしっかり休憩し、勉強するときはお互い鼓舞しあい、切磋琢磨してきました。このメリハリをつけることができたおかげで、毎日、東進に通い勉強し続けられたのだと思っています。
勉強しないと受からないのは当然ですが、時には息抜きもして、気分をリフレッシュすることも必要だと思います。受験生のみなさん、がんばってください。

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山中 佑真さん

受験勉強

神戸大学 工学部
山中 佑真さん
大阪星光学院高等学校

この春、私は、神戸大学 工学部 市民工学科に合格し、進学をすることになりました。これから書く内容が、受験生のみなさんの役に少しでも立てばと思います。

私が東進に入学したのは、二年生の夏頃でした。その頃の私は英語が全くできず、また、苦手であるがゆえに、英語の勉強から遠ざかってしまい、さらに英語の成績が下がるという悪循環に陥ってしまっていました。
「このままでは、大学に合格することが難しい。」
と考え、東進に入学することを決めました。いざ入学してみると、学校の授業と東進の授業の両立は大変で、学校の授業の予習・復習に時間が取られてしまい、東進の授業の予習・復習をするのが大変でした。 しかし、一度リズムを掴むことができると、後はとても楽になりました。

二年生の冬頃になると、学校と東進の両立に加えて、自分の苦手範囲の復習にも手が回るようになりました。また、「センター試験本番レベル模試」の英語の点数も上がり始めました。私はそのことがとても嬉しく、 東進の授業をきっちり受けることの大切さを、改めて知りました。
ここからは、どんどん成績が上がっていきました。 今、苦手科目がある人や、成績が伸び悩んでいる人は、くじけずに東進の授業を受講し、予習・復習をしっかりとすれば成績は上がっていくと思います。

また、苦手科目を克服することはもちろん大切なことですが、私は得意な科目を徹底的に伸ばすことも、同じくらい大切なことだと思います。
私は数学が一番の得意科目だったので、数学に関しては、
「絶対に、誰にも負けない。」
という気持ちで勉強していました。 一つでも自信を持てる科目があれば、他の科目で多少失敗しても、精神的に少し余裕が持てます。私も、神戸大学の後期試験が数学だけだったので、得意科目を活かして合格することができました。

ここまで、「苦手科目」の勉強法と「得意科目」の勉強法について書きました。しかし、一番大切なのはバランスです。
一日中、同じ科目を勉強するというのは、あまり良くありません。たとえば、計算力は毎日、数学や理科の問題を解くことで身についてきます。一日でも計算をしない日があると、すぐに力は下がってしまいます。英単語や古文単語も持続した学習の方が定着します。

日々、バランスよく勉強していくために大切なのは、「計画を立てること」です。私の場合は、一週間単位で計画を立て、翌週に、思うように進まなかった科目の勉強量を増やす、といった形で調整していました。東進には、「週間面談」という仕組みもあります。三年生になる頃には、自分で計画を立てることができるようになりましたが、入塾した頃は、この「週間面談」に助けられました。自分でまだ計画を立てるのが難しいという人は、積極的に面談を使っていった方が良いと思います。計画を立てることで、日々の学習が行き当たりばったりにならず、効率よく勉強できるようになります。

さて、毎日何時間も勉強していると、どうしてもモチベーションが下がることがあるかと思います。私の場合は、
「自分はいったい、何をしているのだろう。」
などと考えてしまうことがありました。
そんなとき支えになったのが、同じ志望校を目指す友人や、担任助手の方々の存在でした。
友人とは、お互いの得意な科目、不得意な科目について教え合い、また、自分が集中できていないとき、友人が一生懸命にがんばっている姿を見ると、
「自分もがんばらなければ。」
という危機感を持って勉強できました。
東進の担任助手の方々には、経験に基づいたアドバイスをいただき、年齢が近い分、学校の先生よりも気軽に相談をすることができました。

私が、工学部市民工学科を志望した理由は、東日本大震災の甚大な被害を目の当たりにしたことです。
災害に強い都市づくりについて学び、将来は都市開発に携わる仕事に就きたいと考えています。


お世話になった京阪くずは駅校でも、これからは担任助手として、今度は後輩たちのサポートをさせていただくことになりました。
京阪くずは駅校のみなさん、本当にありがとうございました。

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黒坂 知世さん

受験を終えて

神戸大学 経営学部
黒坂 知世さん
四天王寺高等学校

私の将来の夢は、これから大学で学ぶ経営学・商学・会計学を活かせる職に就き、日本経済、ひいては世界経済を支えるような人になることです。
漠然としているかもしれませんが、 この大きな夢が、第一志望大学現役合格を勝ち取る大きな力になったと思います。はっきりとはしていなくとも、数十年後の自分をイメージすることはモチベーションアップにも繋がりますし、非常に大切なことだと思いますので、後輩のみなさんにもお勧めします。

私が経営学部を志望した理由は、本を読んで知ったマーケティングに興味をもったからです。最初は、経済学部と経営学部、どちらの学部に進むか悩みましたが、一年生のときに神戸大学のオープンキャンパスに行き、経営学部のおもしろさを知ったことで、改めて経営学部に進学したいと強く思い、志望しました。

ここで受験を終えて、改めて振り返って気づいたこと、後輩のみなさんに伝えたいことを三つ書きたいと思います。
一つめは、基礎固めが大事であるということです。これは早ければ早いほどいいと思います。基礎というのは、教科書、定期テスト、センター試験における標準的なレベルの学習のことです。私は一年生のときから生物が好きだったので、生物だけは日頃からしっかり勉強し、好成績をマークし続けていました。センター試験直前期には、日本史や倫理、政治経済といった暗記科目に時間を取られてしまって、生物の勉強はあまりできていませんでしたが、センター試験本番では、生物が最も得点が高い科目となりました。
また、英数国の中で比較的得意だった数学は、二年生の春から「高等学校対応講座」のシリーズで、初めから丁寧に勉強したことをきっかけに高得点がとれるようになり、同時に数学が好きになりました。この講座のおかげで、二次試験でもしっかり得点できるようになりました。特にベクトルは、学校の授業だけではしっかり理解できなかったので、この講座で最初からやり直せたことが大きかったです。 今、もし基礎固めが終わっていないと思う科目があるならば、早急にその穴を埋めることをお勧めします。

悪い例として、苦手だった英語に関して挙げます。私は中高一貫の高校に通っていたこともあり、中学一年生から高校二年生まで、ほとんど英語の勉強をしていませんでした。勉強をしたと言えば、定期テスト対策としてテスト前にした程度で、その結果、高校三年生に上がるころの成績はひどいものでした。受験を意識し始めた高校二年生の冬に、本格的に勉強し始めたものの、それまでの穴を埋めるのは簡単でなく、高校三年生の夏までは全勉強時間の六、七割を割かねばならないようなありさまでした。
ちなみに、神戸大学 経営学部の二次試験の配点は、英語が一五〇点で、数学と国語が一〇〇点と、私にとってかなり不利なものでした。神戸大学の文系の他学部、または他大学の経営学部の多くも、英語の配点が大きいと思います。苦手教科については、見て見ぬふりをしていると、のちのち本当に苦労します。

多くの生徒が、東京大学・京都大学・医学部医学科などの難関大学に合格する中高一貫の私立高校では、センター試験レベルの学習は二年生の早いうちに完成させ、三年生では二次試験対策を行います。そうした人たちとも、大学受験で争うのです。 繰り返しになりますが、できるだけ早く基礎固めをして、苦手教科をなくすことが重要です。これが、私が経験した大学受験で、後輩のみなさんに是非ともお伝えしたいことの一つです。

二つめは、成績はそう簡単に伸びないということです。先ほど、三年生の夏まで英語に力を入れたと書きましたが、十月ごろまで成績は上がりませんでした。八月の「センター試験本番レベル模試」では、総合点が六月より下がってしまい、私立大学を受験しないと決めていた私は、そのときから浪人も覚悟していました。その後、急激に成績が上がったため無事合格することができましたが、もっと早く手をつければよかったと、何度も後悔しました。

そして三つめは、努力することです。大学に合格することは、夢への第一歩に過ぎません。自分の夢に向かって大学時代に何を学ぶかが重要です。大学に入っても勉強は続きます。そして、努力することも続きます。努力は一生続けなければなりません。私は大学受験を通じて、努力することの大切さを学びました。そして、努力は報われることも知りました。

一年は長いようで短く、短いようで長いです。夏には、「もう夏だ。」と思っても、秋には、「あのころは、まだ夏だった。」と思いました。振り返ると、案外たくさんのことができたような気もします。現に、一月のセンター試験直前には、「十二月には、まだあんなことができた。」と思いました。 怠けて後悔するのは自分です。一年では限度があるにせよ、がんばった分だけ結果がついてきます。成績の伸びが滞っても、諦めることなく努力し続けてください。

最後になりましたが、私を支えてくれた家族や友だち、東進の校舎長や担任助手のみなさん、すべての人に感謝しています。ありがとうございました。
私はこれから大学に進み、自分の夢を実現するため、努力し続けます。

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木村 恭之さん

大学受験を終えて

九州大学 工学部
木村 恭之さん
京都市立 西京高等学校

僕には、大学で学びたいことがあります。それは、異常気象や海面上昇、地球温暖化についてです。そして、大学での学びを通して、将来はこれらに対する対策を考え、実行に移したいと思っています。
きっかけは小学四年生の頃の出来事です。当時、家族で琵琶湖に出掛けた際、とても暑かったことを覚えています。と同時に幼いながら、「なぜ、こんなに暑いのか」という疑問が生まれました。

僕は小さい頃から、よくテレビでニュースを見ていたので、その頃話題になっていた地球温暖化が原因ではないかと考えました。それから、地球で起こっている異常気象について興味を抱くようになりました。しかし、地球の異常気象について興味を持ち、より詳しく学びたいと思っても、知識が浅い僕にとって、手段はニュースやインターネットくらいしか思いつきませんでした。

そんなときに、大学という存在を意識しました。 大学に入学すれば、小学校や中学校、高校で学ぶこととは異なり、自分が興味を持っていることについて、より詳しく、深く勉強することができる、そうすれば、小学四年生の頃から、ずっと興味を持っていた異常気象について学べると思いました。そして、絶対に大学に入学してやると思いました。
しかし、異常気象について勉強するには、数学や理科の知識が必要です。ですが、そのときの僕は物理がかなり苦手でした。
京都市立 西京高等学校では、二年生から物理の学習が本格的にスタートします。そのため、まだ習っていない数学の微分・積分を使った授業からスタートすることとなり、物理の学習がスタートしても、全くついていけませんでした。

あやふやな理解のまま一年間が過ぎ、気づけば三年生になっていました。 これでは駄目だと思い、当時通っていた東進で物理の強化を始めました。受講したのは、苑田尚之先生の「ハイレベル物理Ⅰ・Ⅱ①②」です。この講座は通期講座に加え、夏期講習や冬期講習と、かなりのコマ数がありますが、それでも僕は全てのコマを受講し、完璧に理解するために時間をかけて学習しました。苑田尚之先生の授業は、一度物理の根本を理解してしまうと、どんな問題でもみるみるうちに解けてしまうというものです。その言葉を信じて、この講座の学習を必死で進めました。その結果、「センター試験本番レベル模試」では、九割をとることができるまでになりました。

東進では物理以外にも、数学、英語、化学の授業を受講していたのですが、東進の授業のシステムには本当に感謝しています。
僕は高校三年生の六月まで部活を続けており、受験勉強のための時間を確保することに、とても苦労していました。そんな僕でも東進のシステムを使えば、 休日の午前に授業を受けて午後から部活に行くということや、部活が終わってからでも毎日登校し、毎日授業を受けることができたので、限られた時間の中でも受験勉強を進めることができました。
また、同じ受験生の友だちが必死で勉強している姿を見ていると、僕も負けられないなという気持ちになり、勉強に対するモチベーションを維持することができました。 一人でコツコツ勉強することも大切ですが、時には友だちと競い合うことで、勉強を楽しいと感じることができたのではないかと思います。共に目標に向かって勉強する楽しさを教えてくれた友だちには、本当に感謝しています。

そして、迎えた合格発表の日、自分の受験番号を見つけたときは、言葉にならないほど嬉しかったです。僕にとって、大学受験で自分の受験番号を見つけた瞬間が、生まれてから十八年間で、一番嬉しかった出来事になりました。

これから受験を迎えるみなさんは入試まで、毎日必死で勉強を続けることになります。時には、しんどい、辛いと感じることもあると思いますが、そんなときは無理をせず気晴らしをすることも必要です。
僕は十一月になっても、気分転換に遊びに行くこともありました。その代わり、「するときはする」というメリハリを必ずつけ、勉強している時間は集中して勉強していました。そうやって、自分の中で勉強と気分転換の時間をバランスよく使っていました。大学受験は自分との闘いですから、 うまく自分自身の中でバランスをとって、自分に負荷をかけながら勉強を進めていくことが本当に大切だと思います。

最後になりましたが、両親には本当に感謝しています。東進に通わせてくれたこと、受験勉強を見守ってくれたことは、本当に僕の励みとなりました。大学に合格したことは、自分が学びたいことを学べること、夢や目標に一歩近づくことができるという点で、もちろん心の底から嬉しいのですが、同時に、自分を応援してくれた両親への恩返しができたと思うと、さらに嬉しいです。

大学合格をつかみ取るには、並大抵の努力ではできませんが、日々の努力が大きければ大きいほど、合格をつかみ取ったときの気持ちは、何物にも代えがたいものです。
これから大学受験を迎えるみなさんが、その気持ちを味わうことができるように応援しています。そのためにも、周りの人々を大切にし、残された時間を精一杯努力してください。

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