Tomita Taisuke富田 泰輔

東京大学大学院
薬学系研究科
臨床薬学教室 准教授

2012 年10 月現在

「アルツハイマー病を治す」
という大きな目的に向かって
努力する原点は、
小学校時代の「発見」にあった。

経歴

1973 年
京都市生まれ
1988 年
洛星高校入学
1991 年
東京大学教養学部理科二類入学
1995 年
東京大学大学院薬学系研究科入学
1997 年
東京大学大学院薬学系研究科助手
2000 年
薬学博士
2006 年
准教授
2006 年
東京大学大学院薬学系研究科准教授

※2012年10月時点の経歴です

アルツハイマーと言う病気は、今ではほとんどの日本人が知るようになった。認知症の一種であり、高齢化とともに患者数が増えている。また、難病で、治療の決め手が見つかっていないことも知られつつある。 東京大学大学院薬学系研究科臨床薬学教室 准教授 富田泰輔氏は、このアルツハイマー病の研究に取り組んでいる若手の研究者だ。

Chapter.1アルツハイマーを治す「お薬」を求めて

アルツハイマーを治す「お薬」を求めて

アルツハイマーの基礎研究を通してお薬の開発につなげるのが、私の研究の主要な目的です。
約20 年前、私が東京大学に入ったころは、アルツハイマー認知症の原因はほとんど解明されていませんでしたが、今は「神経細胞に物質がたまって引き起こされる」と言うことが分かってきました。私はこの病気のメカニズムを調べています。
高齢化社会が進むとともに、アルツハイマーの患者数が増えています。
政府の計画でも、癌と認知症がこれから重要だとしています。80 歳を超えると、予備軍も含め30%くらいが、この二つの病気にかかる可能性が出てきます。そしてその比率は年齢とともに加速度的に増えていきます。
アメリカでは、アルツハイマー病はパンデミックディジーズ(世界規模で爆発的に流行している病気)に指定されています。バラク・オバマ大統領は、2020 年までにアルツハイマー病を撲滅するために、アルツハイマー病国家プロジェクト法(National Alzheimer’ s Project Act(NAPA)))に署名しました。
フランスも3 年前にアルツハイマー撲滅を国家計画に定めています。フランスの場合、基礎研究だけでなく介護や社会システムにも国家予算を落としているのが特徴です。

日本は、欧米に比べるとまだ予算は小さくて、アメリカの1 割程度ですが、認知症だけでなく長寿社会に向けての予算も増えています。
私たちも、厚生労働省、文部科学省、経済産業省からお金をいただいて、今までできなかった臨床観察研究を始めています。いろんな病院の先生と共同で多くの患者さんの観察研究を始めているのです。
また、東大病院に先端の研究拠点を作って、アルツハイマー病の治験薬を試すプロジェクトプランも今年から始まりました。

富田氏は、高齢化社会が進展する中、日本の未来を左右しかねない病気克服の最前線で、研究に取り組んでいるのだ。

アルツハイマー病は、脳の中にアミロイドタンパク(ある特定の構造を持つ水に溶けない繊維状のタンパク質)がたまって神経細胞に悪さをすることで起こります。最終的に神経細胞を殺していく。これが病気発症のメカニズムです。
我々はこのアミロイドタンパクを無くすような方向に持っていく研究をしています。そのお薬を創るのが最大の目的です。
すでに、人を使って治験研究も始まっています。脳からアミロイドタンパクを無くする研究は徐々に達成されつつあるのです。
でも、人に与える上では副作用がないのが一番重要です。それがわかるには長ければ5 年はかかるかもしれない。アルツハイマーと言う病気の進行は、それくらい遅いのです。

富田氏は、高齢化社会が進展する中、日本の未来を左右しかねない病気克服の最前線で、研究に取り組んでいるのだ。

アルツハイマー病は、脳の中にアミロイドタンパク(ある特定の構造を持つ水に溶けない繊維状のタンパク質)がたまって神経細胞に悪さをすることで起こります。最終的に神経細胞を殺していく。これが病気発症のメカニズムです。
我々はこのアミロイドタンパクを無くすような方向に持っていく研究をしています。そのお薬を創るのが最大の目的です。
すでに、人を使って治験研究も始まっています。脳からアミロイドタンパクを無くする研究は徐々に達成されつつあるのです。
でも、人に与える上では副作用がないのが一番重要です。それがわかるには長ければ5 年はかかるかもしれない。アルツハイマーと言う病気の進行は、それくらい遅いのです。

一つの病気を克服するのは、それくらい長期的な、大きなテーマなのだ。
一つ一つ丁寧に話す富田氏には、長くアルツハイマー病と取り組んでいたという研究者の自信と、決意がうかがえる。

創薬のプロセスで難しいのは患者さんの病気の部分にお薬を届けるということです。脳はブラッドブレインバリアというバリアで守られていて、ふつうの薬を作ってもなかなか脳には入らないのです。そのハードルを越えるのに5 年くらいかかりました。でも何とか届けることができる薬ができたのです。
でも、ここまで来ても、アルツハイマーは治るかと言われれば難しいと答えざるをえません。病気になった時点で神経細胞はダメージを受けています。失われた細胞、つまり記憶は帰ってこないのです。でも、ダメージをそれ以上受けないように止めることはできるようになるでしょう。
我々は先制医療という言葉を使っています。それは「あなたは10 年後20 年後にアルツハイマーになる、だからこういうお薬を今から飲んでください」というような治療です。病気になってからよりも、予防の方が重要だと思っています。
もちろん、病気には遺伝リスクは存在します。でも、遺伝リスクが高くても、病気にならない人もいるのです。アメリカでは、その研究をしている人もいます。

富田氏は常に「薬」ではなく、「お薬」と丁寧に言う。そこには、ある「思い」が込められている。それは研究者としての方向性をはっきりと示す、重要な「思い」なのだ。

富田氏は常に「薬」ではなく、「お薬」と丁寧に言う。そこには、ある「思い」が込められている。それは研究者としての方向性をはっきりと示す、重要な「思い」なのだ。

アルツハイマーとの出会いは、大学2 年次、専門振り分けの時に医学部脳神経病院の井原康夫先生に出会ったのがきっかけです。もう退官されましたが、井原先生は90 年代初頭、まだほとんど手がけられていなかったアルツハイマーの研究を始められたお一人です。 その頃、私は神経に興味があったのですが、多くの先生が話される電気生理の話が、私には響かなかった。それを知ってどうするんだ、という感覚でした。そんな中で神経の病気の研究の話は一番面白かったのです。
もう一つの転機は留学です。研究室のスタッフとして7~8 年務めて、それからアメリカに留学しました。その頃は基礎研究も病気の研究も面白いと両方眺めていたのです。

富田氏は常に「薬」ではなく、「お薬」と丁寧に言う。そこには、ある「思い」が込められている。それは研究者としての方向性をはっきりと示す、重要な「思い」なのだ。

セントルイスのワシントン大学に入学し、発生学の先生につきました。病気には興味のない先生でしたが、知見を広げるためにはいいかなと思った。でも1、2 か月した時になんか違うと思うようになったのです。
その先生の研究室の研究を見て「何でそれをやってるの」という問いを発している自分に気が付いたのです。「これを解明することが面白い」と興味本位で研究している人に向かって「何で?」と言っている自分に気が付いたのです。
私は、純粋に「これを知りたい」という目的だけでは、研究できない。病気を治す、という目的があって、初めて研究に打ち込むことが出来るということを強く意識しました。
留学から帰ってからは、「病気を治す」という一点に向かって研究を続けてきたのです。

純粋の「知」を求める研究をしているのではなく、「病気を治す」ために研究をしている富田氏。最終目標は、アルツハイマーという病気を克服できる新薬の開発。「お薬」という言葉には、そんな重たい思いが込められていたのだ。

Chapter.2努力をすれば、それは成果として返ってくる

富田氏は、小学校3 年の時に成基学園と出会った。それは、ごく普通の小学生が学習塾と出会ったということだった。

3 年生の時に成基の通信教育から初めて、4 年生から通塾しました。親が「行きなさい」と言ったからです。
楽しかったですよ。自分の小学校以外の新しい友人が出来たし、授業もすごく楽しかったし。
記憶に残っているのは、4 年の理科の先生が、最初の授業のときに、鉢植えの木を渡して育てろといったことです。京阪電車で植木鉢を抱えながら「これ、持って帰るんだ」と思ったのを覚えています。学習塾なのに不思議ですね。珍しい木だったので、「観察日記をつけなさい」ということだったと思います。
小さな時から生物が好きで、見たものを観察して記述するのが好きでしたから、特に記憶に残っています。
4 年生の終わりか5 年の初めだったと思います。伏見校の校長先生が、受験に向けての特別授業で、「お前たちは勉強を頑張って中学に入るんだ」と言われました。私は、友達を作るために塾に来ていると思っていましたから、ちんぷんかんぷんだったのですが、「希望する中学を言え」といわれて、みんながはっきり発表するのをみて、「あ、そういうために来ていたんだ」と気が付いたのです。
家に帰って「中学入るために塾行ってるの?」と親に聞いて「そうよ、何言ってるの」と言われたのを覚えています。とっぽい子だったんですね(笑い)。
ただ、そういう目的がわかってからは、勉強も頑張りました。
授業の前に合掌をしたことを覚えています。大学以降は全くありませんが、良いシステムだったと思いますね。私も大学で授業をしていますが、「じゃあはじめるよ」「終わるよ」と自分でいうしかありません。なんとなく閉まらないと思ってます。
6 年生のときに毎週あったテストは楽しんでやっていました。午前中がテストで午後復習をして夕方には結果が出る。いろんな校舎で競うのです。ランキングに伏見校から何人入るかを競っていました。仲間と一体感を持って、ゲーム感覚で頑張っていましたね。
いちばん面白かったのは「勉強すれば点が取れる」ということがわかったとき。大学受験もそうでしたが、これがわかってからは、勉強するのが楽しくなりました。
何事でもそうですが、目的がないよりあった方がいい。自分が努力をすれば、その成果はテストで返ってくる。100%ではないにしても、頑張れば頑張っただけ、リターンが返ってくることが解ったのが楽しかったですね。
なつかしい!

洛星高校に入学してから、薬学部を志望するに至る

洛星高校に入学してから、薬学部を志望するに至る

もともと生物系の話が好きで、講談社ブルーバックスなどよく読んでいました。一番印象に残っていたのが京大霊長研の久保田競先生の、サルの愛ちゃんの研究でした。そういう脳の研究があるんだというのがエポックメイキングでした。
同時にお医者さんや弁護士など人の役に立つ仕事にもあこがれていて、はじめ法医学やろうかなと思ったのですが、注射とかが得意ではないので、お薬の方に行こうと思ったのです。
東大にしたのは家、関西から出ていきたかったからです。東大なら親も認めてくれるかなと 若気の至りでしたね(笑い)。
父が東京出張のときに「ついて来い、大学を見てきなさい」と言われて東大と慶應、早稲田、一ツ橋を見に行きました。大学の雰囲気が良かったので、あ、大学入るには勉強しなくてはならないと、思いました。

後知恵で言うなら、富田氏は、明確な「目的」を設定することで、頑張ることが出来るタイプなのかもしれない。
「アルツハイマーの克服」という目的に向かってまい進する先生の原型は、この時に培われたのかもしれない。

東京大学のいいところは周りの人のレベルが高いことですね。
小学校の時は勉強しなくても点が取れていました、まず成基学園でそれを打ち砕かれて、洛星でまたぼこぼこにされて、でもまたがんばって、東京大学に入った。でも上には上がいるもので、またぼこぼこにされて、なにくそとがんばる。周囲もみんなそうです。学友も先生もみんな一流。そういう人と知り合いになれることができたのが大きかったですね。
勉強はできた方だとは思いますが、慢心しなかったのは頭のいい人、驚くような人がいっぱいいる環境で学ぶことが出来たからだと思います。 今、私が学生さんを教える側になっていますが、東京大学では生徒も優秀です。私よりはるかに勉強してくる人がいっぱいいる。そういう人たちも必ず勉強しています。
「調べておきました」とさらっというのですが、みんなひらめきで生きているのではなく、何かしら情報を得るために勉強をしています。そういうことをしてきた人たちが集まってきているのです。お互いに良い刺激になりますね。

後知恵で言うなら、富田氏は、明確な「目的」を設定することで、頑張ることが出来るタイプなのかもしれない。「アルツハイマーの克服」という目的に向かってまい進する先生の原型は、この時に培われたのかもしれない。

みなさんには、がんばってほしい。
自分のできる努力を最大限に行ってほしいと思います。
結果につながるかどうかは、そのときの運ですが、やらなければならないことに対しては、自分の最大の努力、パフォーマンスを発揮してください。
失敗しても、一生懸命やったという記憶があれば、次にチャンスがあった時に経験として生きてきます。
それはすごく大きいことです。
あとは、自分が興味を持っていることについて、いろいろな方法で学んでいく。そう言う努力を生活の中で少しでもやっていると、チャンスが来たときにそれを逃さない、と思います。
自分の持っている実力を発揮できるタイミングは、いつか現れます。
成績に一喜一憂するのではなく、その時のために努力を忘れないで、頑張って勉強やスポーツに励んでほしいと思います。

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