同志社高等学校 | 全国と受験【高校受験-合格体験記】|成基学園-受験指導と志共有の学習塾

同志社高等学校
合格-2020年度

わたしの志は、

新型ウイルスに対する薬を作る人になることです。

新型ウイルスによる感染症が流行したとき、多くの人々はそのウイルスに対する治療薬が一刻も早くできることを求めると思います。僕は人々が安心して暮らせるように、ウイルスに対する薬を作る人になりたいと思っています。

全国と受験

僕がゴールフリーに入ったのは、小学五年生の夏くらいからです。僕には三学年上の兄がいて、兄も五年生くらいからゴールフリーに通っていたことの影響もありますが、僕としてはクイズのような感覚で少し難しい算数の問題をやってみたいというのが最初の動機です。始めた頃は週に二日で、算数と国語・理科を交互に勉強していました。その頃は、学校の勉強とは違う、少し難しい問題を解くのがおもしろくて通っていただけで、中学受験をしたいとは思いませんでした。その後、しばらくして模試を受けるようになってからは、気持ちが少し変わって、難しい問題を解くだけでなく、模試で良い成績を取りたいとも思うようになりました。

中学校に入学してからハンドボール部に入部しました。僕が通っていた中学校は強豪校で、何度も京都市内で優勝していました。二十年以上前には全国大会に出場したこともありました。しかし、京都府内には京田辺市という全ての小学校にハンドボールクラブがある市があり、京都市で優勝しても、府の大会ではいつも京田辺市の中学校に敗退していました。そのため、府の大会を勝ち抜いて、近畿、全国大会へと出場することが長年の目標でした。目標が高いため、ほぼ毎日、朝練と放課後の練習があり、また土日は遠征もしょっちゅうでした。部活は楽しかったですが、当然練習も厳しく、一年生の頃は家に帰るとへとへとで、とても塾に行く余裕はありませんでしたが、勉強との両立をしたかったので、学校の勉強はちゃんとして、週二回のゴールフリーは続けました。練習はずっと厳しかったですが、二年生になると体力もついてきたので、もう少し勉強にも力を入れたいと思い、夏休みから成基学園へ行きたいと思うようになり、二学期から成基学園の四条西院教室に週四日通い始めました。

二年生の夏が過ぎると、三年生の先輩たちが引退して僕たちの学年が中心の年代になりました。そして秋に新人戦があり、京都市の大会では優勝しましたが、またしても京田辺市の学校に敗れてしまいました。京都市の大会では圧勝で優勝していたので、今回は府大会を勝ち抜けると期待されていたにも関わらず、敗退したことで夏の大会を勝ち抜くために練習試合や遠征が増え、とても忙しい生活になりました。

三年生になると進路調査が始まり、僕は同志社高等学校に行きたいと思うようになりました。理由は大きく二つあります。一つ目は、僕は高校でも勉強と部活を両立したかったことです。同志社高校にはハンドボール部があり、また同志社大学に内部推薦入学できる制度があるため、学校の勉強をしっかりやって、一定の評定を維持すれば大学に進学できるので、部活動・学校の勉強に全力で取り組めると思いました。二つ目は、自由な校風です。同志社高校は制服もなく、校則もあまり厳しくありません。また勉強も強制的ではありません。これは服装や行動を好きなようにしていいという意味ではなく、厳しい校則を設定しなくても、生徒自身があるべき行動を考え、自分の設定した目標に向かって自分の意志で勉強したり、部活に打ち込んだりすることを期待しているからだと思います。また先生や両親も賛成していたので同志社高校を目指すことに決めました。

ハンドボール部では僕も含めてみんなが、京都府大会を勝ち抜いて全国大会へ進むことを目標にやってきたので、夏休みはいったん部活に集中しました。前年秋の大会の後からずっと厳しい練習を続けてきた成果が実って、夏の京都府大会では京田辺市代表の中学校に三連勝して優勝し、続く近畿大会でも準優勝して全国大会に出場し、ベスト八まで進むことができました。全国大会が終わったのは二学期の始業式の前日だったので、結局、夏休みはほとんど成基学園に行けませんでした。部活は全国大会で引退する予定だったのですが、全国大会でベスト八まで進んだことで、都道府県単位の選抜チームで競うJOCカップという大会の京都府代表として近畿予選まで出てほしいと言われ、九月の一週目まで部活を続けることになりました。

JOC近畿大会が終わると僕は部活を引退しました。この頃はまだ同志社高校に対して四〇〜六〇パーセントの合格率でした。少し不安もありましたが、先生や両親も焦ることはないと言われていたので成績は気にせず、できなかったところをしっかり復習するようにしました。すると八〇パーセントの成績が取れるようになり、それからも、復習を毎日しているとどんどん自信がついていきました。

そして〈直前特訓〉も受け、いよいよ同志社高校の受験日を迎えました。すでに合格している学校があり、多少気持ちの余裕はあったのですが、それでも第一志望校の受験では緊張して、最初の国語が思うようにできませんでしたが、トイレで偶然にも京都選抜の仲間に出会い、肩の力が抜けて自分の力を出せて、同志社高校に合格することができました。

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