T・Aさん
所属教室: 草津教室
合格進学校 同志社中学校

受験とは終着点であり、出発点である

ぼくの将来の夢は、みんなを笑顔にすることができる医者です。なぜ医者になりたいのかと言うと、病気で苦しんでいる人を、一生楽しく笑顔で暮らせるようにできるのは医者だけだからです。また、医者になろうと必死に努力している人の姿を見て、ぼくもあんな人になれるといいなと思ったからです。

お父さんやお母さんは、ぼくの学力ではなれないと言っているけれど、努力は無限にすることができるのだから、無理だと決めてあきらめたくはないです。だからこそ、同志社中学校に行ったら、できるかぎりの努力をします。

成基学園、そこはぼくが知識を増やせて、勉強できたところです。そんな成基学園に入塾したのは、4年生の秋ごろでした。「受験勉強」というものは、どんなものなのかを体験して知るという目的で入塾しました。最初のころは全然ついていくことができずにいて、宿題をしっかりするのもきつかったです。5年生に入り、全てが一変したところから、ぼくの受験はスタートしたのです。

初めのころの〈オープンテスト〉では、偏差値も40後半ぐらいしかとることができませんでした。けれども、少しずつだけど偏差値が上がっているような気がしました。がんばって偏差値50を目指し、宿題や復習をしっかりした結果、初めて努力が実りました。それは、1組から2組へのステップアップです。けれど、1組から2組へ上がってしまうと、宿題の量や難しさが急激に上がるというデメリットもありました。しかし、やめてしまえば逆もどり。そんな気がしたので、5年生の約5ヵ月間を2組に上がって取り組むことにしたのです。困ったときなどにF先生の助けがあったので、2組の5ヵ月間を乗りきることができました。6年生になってからも、初めの半年間はうまく乗りきることができましたが、受験まであと半年となった秋、また大きな壁にぶち当たりました。宿題や復習ができずにあきらめてしまう、という壁でした。F先生と何回も何回も面談をすることで、やっと受験への一本の道が開かれたのでした。

〈日曜進学教室(日進)〉の国語では、何回も30点をとって、成績が上がらないこともありました。けれども、こんなときも1人きりになって悩まずに、N先生に相談することで、どの点がまちがいの種なのかを見つけていくことができました。しかし、成績はあまり上がりませんでした。それは、自分の努力不足のせいでした。努力は1度だけではなく、何度も積み重ねることで達成することができる。そんなことを思いながら毎週毎週、〈日進〉の復習をして、努力を積み重ねていきました。1番苦手である記述を、通常授業でもコツコツとやりました。演習でもゆっくりと、1つひとつ着実に取り組みました。その結果、14、5回目の〈日進〉の国語で、初めて70点以上を取ることができました。それも、1回だけではなくて何回も取ることができたのです。そのときでした。うれしさと達成感でみちあふれたのは。けれども、そこで復習などをやめないようにがんばりました。今、快調な理科の点を落とさないようにするために。

努力の中には、「がまん」というものもありました。例えば、学校の友だちがたくさん遊んでいて楽しそうにしている中、がまんして遊ばずに、勉強をして家で過ごしたことです。特に冬休み、友だち同士で泊まり会をする約束をしていて、本当ならぼくも行けたはずなのに、がまんして家で復習などをしたことは苦痛でした。けれども、受験まであと1ヵ月。受験生なら普通は遊ばないことはわかっていました。

入試まであと2週間を切ったとき、何もすることがなくなった時間がありました。その瞬間、思い浮かぶことは「赤本」、「漢字のでる順」、「暗記カード」などいろいろありました。そんなたくさんの中で1番良いと思ったのは赤本でした。だけど、ぼくが選んだのは社会の時事問題集でした。同志社中の赤本は2年分したので、だったら同志社中の傾向に1番近いと思える時事問題を解いて備えようと思ったからです。時事問題では、全く知らないことの方が多くありました。けれど、1つひとつゆっくりと解説を読み、着実に覚えていきました。実際の入試問題でも1、2問出題されたので、選択は良かったのかなと思いました。

「受験」、それは人生のスタートであり、土台にすぎないと思います。けれども、「中学受験」というものを通して、ぼくはいろいろなことを学び、たくさんの人に支えられました。

1番感謝したいと思う人は両親と弟です。いつも演習で22時になるときはむかえに来てくれて、お弁当もたくさん作ってもらいました。その他、先生方にも感謝しています。困ったとき、うれしかったときなど、先生方はいつも話を聞いてくださり、そして授業でも、いろいろなことを教えてくださいました。ありがとうございました。

ぼくの夢「医者」、それはぼくには無理なものかもしれません。けれども、あきらめず努力した分、結果はついてきてくれます。だからこそ、ぼくはあきらめません。自分の限界まで。