神戸海星女子学院中学校
合格-2018年度
病気で苦しんでいる人々に親切に接することができる医師になることです。
私が医師を志すようになった動機は、幼い頃、中耳炎になったときに、病院でお医者さんに親切にしていただいたからです。志に向けて、これからは、苦手な理科をできるようにし、数学も得意になれるように努力していきたいと思います。また、成績の波をなくしていきたいと思います。
合格への毎日
私が成基学園に通うようになったのは、四年生の五月でした。姉が通っていたので、父に入るように勧められ入塾しました。四年生では宿題だけをやっていました。
五年生の始め、姉や友だちが通っているという理由で、私は志望校を神戸女学院中学校に決めました。しかし、この頃は習い事をたくさんしていたので、宿題を提出日ぎりぎりに終わらせていました。
六年生になって、ほとんど習い事をやめたおかげで、五年生よりも勉強に集中できるようになりました。さらに、六年生の始め、〈最難関志望校別特訓〉に行きました。しかし、宿題にかけられる時間が少なくなり、基そをしっかりできなくなったので、かえって成績が落ちてしまいました。
六月に〈日曜進学教室(日進)〉が始まると、〈成基オープンテスト〉よりは偏差値が上がりましたが、父に
「まだこれでは神戸女学院に受からないぞ。」
と言われました。悔しかったので、さらに勉強をしましたが、偏差値六十を超えることは難しくて、超えられないまま夏休みになりました。
〈夏期講習会〉では、朝から夜まで学園で自習していましたが、五年生のときに運動系の習い事をしていたので、体力的には問題ありませんでした。
〈夏期学習合宿〉では、一日のほとんどが勉強時間で、一日中集中することができました。
九月になって〈日進〉が再開されましたが、夏にすごくがんばったので、成績が上がっているのではないかと期待していました。しかし、成績は上がるどころか少し下がっていました。そして、九月ぐらいから神戸女学院中の過去問をやっていましたが、そちらも全く点数が取れず、このときはすごく焦りました。本当に神戸女学院中を受けることができないかもしれないということを不安に思いながら、〈日進〉の《ウルトラコース》を受けました。すると、当然のように点数は全く取れず、偏差値はボロボロでした。そうした結果が続いていた十月の末に、
「神戸女学院は厳しい。」
と、担任の先生のK先生や両親に言われました。その言葉は思っていた通りでしたが、姉は受けられたのに私は受けられないということを、悔しく思いました。そして、これから第一志望校をどこにしようかと悩みました。すると、K先生に
「神戸海星女子学院中学校もいい学校で、希望に合うと思いますよ。」
と言われて、学校見学会に行ってみました。すると、すごく好印象で、自分に合いそうな学校だと思いました。
十一月頃、神戸海星女子学院中を受けることに決めました。自分自身、神戸女学院中を受けられないことはショックでしたが、自分に合いそうな学校を受けられるならその方がいいと思いました。神戸海星女子学院中が私にとってとても良い印象の学校だったので、前向きに気持ちを切りかえられました。それから、急いで神戸海星女子学院中の過去問を解き始めました。
慣れないうちは、過去問があまり解けなくて、悔しかったですが、慣れていくうちに取れるようになってきました。しかし、私は国語が苦手だったので、慣れるまでは思うように点数が取れませんでした。けれども、N先生に分かりやすく教えていただいたので、合格最低点までは取れるようになりました。
〈冬期講習会〉では、社会の基そ的な知識をたくさん忘れていたため、Ⅰ先生に注意されました。また、〈正月特訓〉でも、案外忘れているところが多かったのですが、それを確認することができたので、受けて良かったと思います。
その後、入試まであと数日しかないのに過去問が少し残っていて不安でした。しかし、前日に神戸海星女子学院中の算数を質問したときK先生が、
「大丈夫!」
と言ったので安心しました。
受験当日、電車でN先生に会い、アドバイスをしていただきました。
受験はあっという間に終わりました。
合格発表のとき、どきどきしながら見に行きました。自分の受験番号を見つけたときは、今までがんばってきたかいがあったと思いました。
合格するまで、たくさんの人に支えられてきました。体調管理をしてくれた両親や、質問したとき丁寧に教えていただいた先生方に、感謝しています。
これからも目標に向かってがんばっていきたいと思います。