灘中学校 | ファンタジスタ【中学受験-合格体験記】|成基学園-受験指導と志共有の学習塾

灘中学校
合格-2019年度

わたしの志は、

小説家になって、読んでもらった人に夢を持ったり、今の悩みがなくなったりするような小説を書くことです。

僕は物語を作るのが好きなので、それを活かして人の役に立ちたいと思い、この志を持ちました。この志を果たすために、中・高・大学で文法や表現を勉強したいです。その勉強をした上で、人に夢を持ってもらったり、今の悩みがなくなったりするような小説を書きたいです。

ファンタジスタ

僕の志は、がんばっている人を支えられる人になることです。その思いを強くしたのは、この受験の経験でした。

初めて志望校について考えだしたのは、小学四年生のときでした。そのときは特に理由もなく、洛南高等学校附属中学校や洛星中学校といった学校を志望校としていました。そして、そのまま五年生になりました。

しかし、五年生が終わるころ、Y先生が、「お前は灘を受けろ。」とおっしゃいました。驚きでした。なぜなら僕は、灘中学校に受かるはずがないと思っていたからです。たしかに、K先生からは洛南高附中は大丈夫と言われていました。しかし、やはり実感はわきませんでした。

その後、灘中を受けることは受け入れたものの、どこかフワフワしたまま六年生になりました。授業中のテストで志望校を書くときに「灘・洛南」と書いておくと先生は、「洛南は大丈夫だから、灘に向かってがんばり。」とおっしゃいました。これが灘中を受ける決定打となりました。それでも、そのときの気持ちは灘中を受けても洛南高附中に受かれば行くという、あいまいなものでした。そう考えた理由は、「洛南は生徒へのサポートが手厚いから」という、今考えると「言い訳」と呼ばれるものでした。しかし灘中に通っても、周りの人についていける自信がないというのが本当の理由でした。

そんな気持ちのまま夏になりました。夏休み中、算数の課題を雑にやり、Y先生に怒られたことがありました。そのときのY先生の、「お前はただこなしているだけ。」という言葉が忘れられません。今思えば、志望校に対する考え方の甘さが招いたことだったのかもしれません。

そして、秋になると、〈日曜進学教室(日進)〉であまり良い点数がとれないようになってきました。先生にはスランプだと言われ、一応納得はしていましたが、〈志望校別特訓〉がもうすぐというころの〈日進〉でも、悪い成績を取って、それに耐えきれず家でひどく落ち込みました。そして、次の日に、Y先生から授業後に呼ばれると、どういうわけかY先生は僕が落ち込んでいたことを知っておられました。そして、僕にはげましの言葉をくださり、「お前は灘に行っても大丈夫だ。」ともおっしゃいました。このときにやっと灘中に受かって通うという決心がつきました。

〈冬期講習会〉では、たくさんの過去問を解き、経験を積みました。講習会のスケジュールなどは、Y先生や母と相談して決めました。そのスケジュールが自分に合ったものであったため、僕は体調を保つことができました。

そして、ついに入試本番がやって来ました。試験会場につくまでの間は不安でいっぱいでした。しかし、試験会場でK先生やB先輩、Y先生やⅠ先生のアドバイスを受けたので、試験はリラックスして受けることができ、実力を発揮できました。そのおかげで、第一志望校の灘中に合格することができました。

あと二校、受ける予定の学校が残っているという状態のときに、父と母はもう受けなくてもいいのではないかと言っていましたが、僕はここまできたからには、最後までやりきると言って、その二つの学校を受け、合格することができました。

みなさんも、自分の受ける学校に受かる自信がなくなってしまうときがあるかもしれません。しかし、最後に合否を左右するのは自分なので、自信をなくしてはいけません。悩むなら、志望校に向かって勉強した方がいいのではないでしょうか。大切なのは、何があっても勉強を続けることだと思います。

最後に、たくさんの学校に合格できたのは、四教科の先生方や先輩方に支えていただいたおかげだと思います。考え方を正してくださったり、入試本番の日にアドバイスをくださったりした方々に感謝すると同時に、自分もそういう人になりたいと思いました。

がんばっている人を支えるファンタジスタになる、それが僕の志です。

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