わたしの志は、
音楽で国境を越えた多くの人々を感動させ、人と人との争いを無くせるように、アーティストになることです。
僕は中学3年間合唱団や吹奏楽部に所属し、そこで世界中の様々な音楽に触れてきました。この経験によって僕は、音楽は世界共通の概念で人と人を繋ぐ架け橋になるものだと確信しました。そして国や民族に関係なく、個人個人を尊重できれば人類愛が芽生えて、今なお続く紛争や人権侵害を止めることができるという考えにいたりました。争いを直接とめることはできずとも、争いを止めたい人を音楽で支えること。それが僕の志です。
無知を恐れて、自分を信じる
僕は3年間の受験勉強で様々なことを教わり、学んできましたが、その中で最もインパクトのあった学びが三つあります。
1つ目は、やらなかったこと・放置したことは必ず自分の足を引っ張ることです。僕は生徒会活動や部活動、外部の合唱団での活動など様々な行事に精力的に取り組んできましたが、定期テスト・もし対策はからっきしでした。1・2年生のころは受験への意識が低かったこともあって、内申点特に理系強化は今から見れば最悪な状況にまで落ち込みました。しかし、もしの点数は右肩上がりだったことで慢心し、対策はおろか復習すらせぬようになってしまいました。そしてこの甘い考えが3年生の志望校決めの時に最悪の形で返ってくることになってしまいました。当時僕は、第一志望校に模擬テストの成績はとどいていましたが、内申点を加味すると努力圏内という判定になってしまったのです。そして、志望校をどうするか、検討しなくてはならなくなりました。
ここに来てようやくかつての自分の蛮行を反省することになり、因果応報とはまさにこのことなのだと痛感することになったのです。
次に2つ目は、どれだけあせっても時間は待ってくれないということです。この学びは日曜進学教室に参加した誰もが感じたことでしょう。試験中は時間配分のミスや頭が真っ白になるなどのアクシデントが当然のように発生し、そのたびにメンタルを削られていきます。苦手教科なら、なおさらこのアクシデントが発生します。アクシデントが起きると不安と恐怖で頭がいっぱいになり、いわゆる放心状態になって更に時間を失うという二次災害が発生してしまいます。僕も日進で数回、更には本番でもこの症状を発症してしまいました。しかしそんな時に僕はこう考えることができました。終わったことに対して、悩む必要はない。悩んでいる時間が一番無駄なんだ、と。SテストやVもし、日進などのあらゆる模試を何年も解いて自分の特性を把握した今、元々失点が予測されている教科に対して神経質になることはない。時間は待ってくれない。でもそれは皆同じなんだと経験を通じて理解できたのです。
最後に3つ目は、成基学園でつちかった技能は社会生活の中でも有効であるということです。それは通常授業で習得した知識技能もそうですが、何よりも通用するのは「志教育」でつちかった道徳的な知識です。「志教育」では自分自身という存在を理解して人生の目標を組み立てることを最終目標としていましたが、今になってそれがいかに大切なことか分かりました。かつて優秀な学生が悪人に利用されて大量殺人を行ってしまったり、天才科学者が死の商人として殺人兵器を作ってしまったりと、過ちをくり返す人類の歴史にストップをかけることが、これからの時代を築く自分たちの責務であると体験することができたからです。知は力となるがその強大さゆえに制御できなくなる危険性もあり、どうやってバランスを保てるかを追求することが人類の課題ですが、国を統治する政治家や会社を運営する企業家といった人の上に立つ人たちでさえもそれができないというのが現状です。だからこそ僕たち次世代の人間の重要性をこの「志教育」で学び、その学びが人類共通の概念であることも学ぶことができ、自分が学ぶ理由を見つけだせたのです。
以上が僕が3年間の高校受験で最もインパクトのあった3つの学びです。しかしながら僕はこの高校受験に自分にとって良い作用をするポイントがないか更に探して、新たに1つ、このつらく長い受験を乗り越えられる受験のいいところを見つけました。
それは「自分自身を形成できること」です。模試で点が奮わなかったり、ライバルに負ける、志望校に落ちてしまったなどの様々なマイナスな出来事に受験生は襲われることになり、誰もがそれから逃げたいと思います。しかしたとえ成績が奮わなくとも、ライバルに負けても、志望校に落ちても、だから自分の3年間は水泡に帰したと思う人はいないと思います。必ず自分の体に吸収されているはずなのだから。これから自分に襲ってくる挫折や屈辱も、この3年間のように必ず自分に良い形になって吸収されていると思って、これから様々なことに前向きに取りくんでいきます。