C・Sさん
所属教室: 知求館(北大路)
合格進学校 洛南高等学校附属中学校

案ずるより産むが易し

私の将来の夢は、大勢のスタッフをまとめ、よいテレビ番組をつくりあげるテレビディレクターです。その理由は、五年生のときに学校の放送委員会に入って、テレビ放送の係を経験し、将来、放送関係の仕事につきたいと思 ったからです。その夢を叶えるために、私は第一志望校を洛南高等学校附属中学校に決めました。

私が成基学園に入塾したのは、四年生の九月頃です。学校で年に二、三回行われる学年テスト対策のため、母に勧められて〈夏期講習会〉に初めて行き、授業を受けているうちに、受験をしたいと思うようになりました。私が第一志望校を洛南高附中に決めたのは、五年生のときです。六月に開催された小学校主催のオープンスクールに初めて参加し、また秋には文化祭にも行き、勉強だけでなく積極的な活動ができるところに魅力を感じたからです。

担任のY先生に初めて出会ったのは、五年生の二月に行われた〈スタートダッシュ講座〉でした。Y先生の私への第一印象は、表情の堅い「ロボットみたいな子」だったそうです。多分、緊張していたせいでしょう。そんな私もY先生の分かりやすい授業のおかげで、リラックスして授業を受けられるようになりました。しかし、六年生になり量が増えた宿題に慣れず、どうすればよいのか分からなくなり、困り果ててしまったときもありました。そんなとき、私を落ち着かせてくれたのは母でした。いつも支えてくれた母に、私は一番感謝しています。

時は流れるように過ぎて、七月。こんなに勉強が忙しい時期に行っても大丈夫なのかと自分でも不安でしたが、ずっと憧れていたオーストラリアへ修学旅行に行きました。ところが、ホームステイをすると、受験勉強ですっかり乱れていた生活リズムも改まり、オーストラリアの大自然の中でリラックスできて、かえって行って良かったぐらいでした。帰国した翌日から〈夏期講習会〉に行き、調子も良く、最終日テストでは何と全園一位になりました。

〈夏期合宿〉や〈算数集中特訓〉も終わり、ついに十月。〈日曜進学教室(日進)〉も〈ウルトラコース〉になり、復習は欠かせないものになりました。特に理科の点数がひどくて、量の多い復習に、ずいぶん時間をかけたこともありました。しかし、そうやって復習を続けていたにもかかわらず、統一入試まであと三十日ほどとなった頃、Y先生にこう言われたのです。「Aは各教科、十点ずつ足りない。」と。けれども、こうも言われました。「各教科十点、つまり合計四十点や。それをAは遠いと思ったのか。入試まであと三十日はある。一日二点ずつ稼げば、全部で六十点以上になるやんか。四十点が遠いと思ったんやったら、今までの勉強方法、変えた方がいいで。」私は、正直四十点を莫大な量だと思っていました。けれど、それは自分の勉強方法が間違っていただけ。時間がかかっていた復習も、ダラダラとやって効率的ではなかったのだと思います。それからの勉強は、「今している勉強は、合格のための点数アップにつながるだろうか。」と意識して取り組みました。赤本も、理科は洛南高附中の過去二十年分、社会は六年分、国語も六年分、算数はY先生に抜粋していただいた問題をどうにかこなしました。〈冬期講習会〉、〈正月特訓〉、〈直前特訓〉、そして赤本の復習は、どれも丁寧にしました。すると、統一入試の前日、Y先生に質問していたときに、「Aは、算数と社会で点数を稼げるな。」と言ってもらえたのです。私はそのとき、驚くと同時に、自分はやっと合格につながる勉強ができるようになったのだと、うれしくてたまらなくなりました。

ついに入試本番。第一志望校の入試は三日目だったということもあり、思ったより緊張しませんでした。でも少し緊張しましたが、算数で問題に集中したことで、その後の教科は前より落ち着いて解けました。社会まで全て解き終わった途端、「これはいけたかも。」という少しの自信を感じました。「あった!二七三番あった!」母の興奮気味の声で、掲示板を見るまでもなく「合格」が判明した、合格発表の日。私は何だかあっけないような、信じられないような気持ちでしたが、段々と喜びがわき上がり、「本当に良かった。」と、うれし泣きをしてくれた母に言いました。

最後に、私の膨大な量の質問(特に国語)に答え、面白い授業をしてくださった成基学園の先生方、そして両親、双子の妹M、本当にありがとうございました。私は、これからも努力をし続けていきます。