合格進学校 京都市立西京高等学校附属中学校

わたしの志は、

笑い声が絶えない社会にするために有名なTVプロデューサーになって悩んでいる人たちを笑顔にする番組を企画することです

私は、アニメやドラマが大好きで、映画を見ては涙を流していました。「私もこのようなすてきな作品を作ることができれば、どれだけの人に感動を送ることができるだろう。」このように考え、この志をたてました。京都市立西京高校附属中学校では、このような企画力を育ててくれるので、プロデューサーへ一歩近付いた気がします。これからもこの志をもって勉強を続けていきたいと思います。

努力は裏切らない

私が成基学園に通ったきっかけは、「塾に行くのがかっこいい」と思ったことです。

はじめの偏差値は、国語は60、算数は40弱とかなりひどい成績からスタートしました。そんな中、私は「西京」という学校を見つけました。

5年生になり、授業時間も宿題も倍になると、次第に辛くなって宿題をしないことがありました。それでは西京高附中から遠ざかっているだけだということに気付き、恥ずかしくなりました。すると、算数の成績がぐんぐんのび、平均点に近い点数がとれるようになりました。そして、私の最大の難点である社会の成績をカバーすることができ、上から2番目のクラスで授業を受けることができました。レベルの高い友達、そして授業。西京高附中に一歩近付いた気がしました。

しかし、喜んだのもつかの間、周りの成績が上がっていき、ついていけなくなり、挙句の果てにはクラスがさがってしまいました。心の底から「悔しい」という気持ちが湧きあがり、苦手な社会をどうにかするために必死に努力しました。また、ライバルであり、友達でもある仲間の姿を見て、「このままじゃ、おいていかれる」という気持ちが一層強まりました。そして、夏休みからは次のようなことをがんばりました。

国語は暗記系のプリントをひたすら解き、実践する。算数は今までの解いてきた問題を全て解き、ショートテストのやり直しを行う。自分の苦手単元を見つけ、徹底的に潰す。そして、授業はできるだけ発言することで、印象に残り、すらすら解けるようになった。理科は、先生にたくさんのプリントをもらい、記述対策をする。

社会はプリント、まとめノート、参考書を使用して出来事の起こった背景を考えながら覚える。想像力を生かして、その出来事がどのようなものだったか考える。歴史人物等に関係する本を読み、歴史に興味を持つきっかけを作る努力をした。

そして、日曜進学教室(日進)が始まり、日曜日が使えなくなりましたが、1日の勉強時間を増やすことにより、なんとかついていきました。チャンスは土曜日、祝日や連休。そのような日には、自主学習に全力を注ぎました。そして、フォーサイトを使い、今後の予定を立てていきました。8月9月は算数を集中的にする。10月11月は社会を集中的にする。12月は立命館後期に向けての勉強。1月は体調管理に気を付けながら、本番に見る、苦手な単元の見直しノートを教科ずつ作り、滑り止めで受ける学校の過去問を解く。というように、成績を上げるために努力しました。直前の西京高附中模試ではかなりの高得点が出て、自信につながりました。

本番はあまり緊張しませんでした。まわりの人も落ち着きのない人があまりおらず、緊張していないように見えました。適性検査Ⅱが終わると絶望的な気持ちになりました。

しかし、「もう起こったことで後悔しない」と何回も言われたことを思い出して、適性検査Ⅲを終えました。

西京高附中の受験が終わっても、それから2日間まだ入試が続くので、合否のことは考えないようにしましたが、やっぱりそわそわして、浮き足立っていました。そして、迎えた立命館中学校、立命館宇治中学校の合格発表。覚悟してページを開くと、「合格」の文字が目にとびこんできました。家族みんなで飛びはねて喜びました。その次の日は、西京高附中の合格発表でした。大きく深呼吸をして掲示板を見た瞬間“落ちた”と思いました。そんな私の隣で嬉しそうな表情をした母が目に映りました。しっかり確認すると、私の受験番号があり、母と顔を見合わせて喜びました。その時はあまり涙が出ませんでしたが後から信じられないくらいの涙が出てきました。私を支え続けてくれた家族や先生への感謝、そして何より、めげずにがんばり続けて、本当に良かったという気持ちがあふれ出てきました。

また、私がこれまで受験勉強を続けてきて分かったことがあります。それは、「努力は結果に出る」ということです。ひどい状態からスタートした私でも、最後には努力に比例した結果がついてきました。これからも、これを私の心に刻んでより良い中学校生活を送ろうと思います。