合格進学校 滋賀県立守山中学校

わたしの志は、

歯科医師になって、歯の病気で苦しんでいる人を精一杯治療して、笑顔にすることです。

この志を立てた理由は、ぼくが通っている歯科医院の先生のように、会話も治療も上手な歯科医師になりたいと思ったからです。そのために、これまで積極的にあいさつや声かけをし、会話力を育んできましたが、まだ手先の器用さや、初対面の人との会話力が足りないと感じています。これからは、誰にでも積極的にあいさつや声かけをして会話力を伸ばし、手先をよく動かして、細かい作業をこなしていくための力も身に付けていきたいです。

日々の努力が合格へ

ぼくが成基学園に入塾したのは、五年生の夏でした。はじめは、勉強が楽しいという印象はなく、行きたくないなという気持ちで塾に通っていました。しかし、塾では良きライバルを見つけ、自分から勉強するようになり、

「勉強って、想像以上に楽しいな」

と思うようになりました。そのころになると、友だちと遊ぶことも、勉強することもどちらも目一杯することができ、一年間があっという間に終わってしまいました。

そして、受験生として大事な小学六年生になり、ぼくは、週に三回の〈県立中対策講座〉を受けていました。初めのころは、テストの点数が良く、

「この調子なら大丈夫」

と、受験をあまく見ていました。が、徐々にテストの点数が悪くなっていき、初めて受けた〈滋賀県立中対策模試〉では、ひどい点数をとってしまい、とても落ち込みました。そのころから、勉強を毎日やり始めました。

夏休みは、午前九時から午後三時までの授業のあと、毎日教室に残って、その日の授業の復習や、参考書などを使って勉強しました。毎日くたくたになって家に帰るという日々でしたが、先生にもらった自主計画学習ワークブックは、しっかりと書きました。これを書くと、不思議と安心してねむることができたのです。

夏休みが明けるとすぐに、二回目の〈滋賀県立中対策模試〉がありました。結果は一回目よりも少し上がっていました。そのとき、

「努力は必ず実る」

と確信し、毎日努力を続けました。

六年生後半の十月からは、本格的に受験勉強に取り組みました。このころには毎週土曜日に〈県立中対策土曜特訓〉も始まっていました。はじめは、なかなか良い点数がとれず、不安で押しつぶされそうになっていましたが、家族が、

「まだ本番じゃないから大丈夫、努力は必ず報われるから。」

とはげましてくれ、ぼくを支えてくれました。その支えがあったから、良い点数をとれるようになっていきました。

一方、経験したことのない面接は、最初はこわくて足のふるえが止まりませんでした。そんなとき、面接を担当してくださった先生が、ぼくたちに、

「面接はあまり、合格・不合格に関係ないから大丈夫。」

と言ってくださり、緊張がほぐれて、最後の面接では、二番目や三番目に手を挙げられるようになりました。

月日はあっという間に過ぎ、一月になるころには、赤本の過去問六年間分を五回と、銀本の六〇〇ページが終わっていました。それでも、問題が難しくて、何度もくじけそうになりました。そのたびに、

「今まで何のためにがんばってきたんだ、自分に負けるな、自分に打ち勝て。」と自分に言い聞かせ、勉強を続けました。

そして、ついに本番がやってきました。昨晩から激しかった心臓の鼓動が、当日も続いていました。中学校の門の前にM先生がおられ、

「陽輝なら大丈夫!」

と言ってくださり、少し緊張がほぐれました。

教室に入ると、全員がぼくよりかしこく見えました。しかし、

「二年間がんばってきたんだ、あとはその成果を発揮するだけだ」

と自分に言い聞かせました。

最初の作文は、塾で解いたことのある問題が出題され、自分の中ではよくできたと思いました。次の適性検査でも、得意な問題が多く出たため、自信を持って解くことができました。面接では、やはり緊張してしまいましたが、自分の思いを一生懸命に伝えました。

そして合格発表の日、落ちたらどうしようと、ずっと不安に思っていました。しかし、自分の番号が呼ばれたときは、とてもうれしく思い、感動しました。そのときに、今まで努力してきて良かったと改めて感じられました。

ぼくが受験を通して学んだことは、努力は裏切らないということです。

努力は、した分だけ自分の力となり、また、自分の自信へとつながっていきます。

このことを胸に刻み、中学生になってからの勉強も、がんばっていきたいと思います。