F・Aさん
所属教室: 知求館(北大路)
合格進学校 東大寺学園中学校 進学校以外の合格校 洛星中学校、高槻中学校、東山中学校、北嶺中学校

わたしの志は、

科学者になって世の中の役に立つ研究をして、ノーベル賞を授賞することです。

幼いころから鉱物や宇宙などの自然科学に興味があり、そのことが書かれている本や図鑑を親や親せきに買ってもらって読んでいた。その時に、いまだ解き明かされていない謎がまだまだあることを知った。「もっと科学について知りたい。」となったことが、この志を持ったきっかけだ。この志に向けて、中学、高校を通じて自分の研究したい分野を明確にし、その分野の研究ができる大学に進学して、海外でも活躍できる科学者になる。

波乱万丈

僕が成基学園に入塾したのは、4年生になる前の春休みだ。自分の夢を叶えるために、レベルの高い勉強ができる中学、高校に進学したいと両親に話したのがきっかけだった。両親は、中学受験は考えていないようだった。だから中学受験をする条件として、洛南高等学校附属中学校、洛星中学校、京都府立高等学校附属洛北中学校、京都市立高等学校附属西京中学校の4校から選ぶように言われた。その時は特に行きたい中学校があるわけではなかったので、いずれかの4校の中学校を目指すと決めた。成基学園の体験授業に参加し、算数のI先生の体験授業が面白く、迷うことなく成基学園に入塾した。

4年生、5年生のころは、全教科の授業がとても面白く、塾が大好きだった。いろいろな知識が増えることが楽しかった。また、成績も比較的順調だった。オープンテストも偏差値60台を保っていたように思う。そのころ、塾を通じて東大寺学園中学校の存在を知った。興味を持ったので、母と体験授業に参加した。算数と理科と音楽の授業がとても面白く、ぼくの目指すレベルの高い勉強ができると思った。そのころから、第1志望にすることにした。

しかし、5年生の1月ごろ、心の調子が急に悪くなった。問題を解くために考えなければならないのに、考えようとすると苦しくなるという悩みを抱えるようになり、冬期講習の最終日テストで成績が落ちてしまった。ショックのあまり泣いてしまった。僕自身、なんでそうなったのか分からないが、母は学校のストレスや受験への焦りが出始めたからではないかと言っていた。母と何度も話し合って、この悩みを少し忘れられるようになったが、それでも偏差値50台ほどまでしか戻らなかった。そんなことが夏前まで続いた。

夏休みに入ると、みんなが勉強をもっとするようになった。僕も前よりも勉強する時間を増やし、毎日午前中に自習室に通った。しかしほかの塾のクラスメートはもっと勉強していて優秀なので、悩んでいるひまはない、と気持ちを切り替えるように努力した。

6年生の秋からは毎日積極的に自習室に通うことにした。質問ももっと積極的にするようにした。出された宿題はすべてこなすように努力した。中でも算数に力を入れた。N先生に、よくやっていると褒められたことで自信がつき、どんどん問題が解けるようになっていった。理科と社会は比較的ずっと安定していて平均偏差値60台は死守できたように思う。しかし、その反面、国語の記号問題が、確実に分からないと選べなくなり記述も空白になってしまい、国語が苦手になってしまった。日曜進学教室(日進)のウルトラでも、悪いときは国語の偏差値が20台ほどまでに下がってしまった。国語では、もう点数を取れないと、諦めていた。しかし、北嶺中学校の受験の前に、国語のN先生に個別指導で毎日北嶺の対策をしてもらってから、国語に自信が付いた。このころに、少しずつではあるが、苦手だった国語もできるようになってきたように思う。

洛星中の受験の直前に、最難関特訓でお世話になっていた国語のI先生の協力で洛星中の国語の特訓が行われた。その時のテストで、僕は記号問題を1問空欄にしてしまった。算数のN先生に呼び出されて、自分の受験にかかわってくれた人に申し訳ない!洛星中に落ちたら全部台無しになる!と怒られた。僕は目が覚めた。これからのテストで記号問題は絶対に考えてうめると決心した。次にしたテストでは最後の記述の問題以外は全てうめることができた。洛星中の本番の試験でも、国語はすべての問題をうめた。その結果、合格した。

迎えた東大寺学園中の入試当日。自分のレベルは東大寺学園中に届いていないということはわかっていた。でも、洛星中に受かっていて、このままの勢いで東大寺学園中も受かるぞと、意気込んでいたからか、落ちる気はしておらず、緊張もしていなかった。東大寺学園中には、国語のI先生もきていた。I先生に、「国語はうめたら勝ちだよ」と言われて、国語はとにかくうめるぞと意気込んだ。

入試当日は落ちる気がしていなかったものの、合格発表の日は、落ちているだろうなと思って諦めていた。最後の受験校の合格発表だったので、東大寺学園中の校内掲示を母と見に行った。自分の受験番号を探していると、母から急に「受験番号ある・・」と言われて、また見てみると、確かに自分の受験番号があった。僕は信じられなくて、とてもうれしかった。

受験をする上で大切なことは、諦めないことだ。僕は、苦手だった国語が伸びたのは1月に入ってからだった。だから、最後まであきらめずに向き合えば、結果はついてくるのだ。

僕の受験生活を一言で表すと「波乱万丈」だと思う。5年生の終わりからは、成績も激しく上下していたし、正直に言うと、頑張っていた時も頑張っていなかった時もあったと思う。そんな僕を時には厳しく、時には優しく引っ張って下さった、多くの先生方に心から感謝したい。

保護者からのコメント

F・Hさん

保護者のアイコン

長男は幼い頃からブロックやLAQで何かを組立てたり、折紙で遊ぶのが大好きでした。特に折紙は得意で、難しい作品を折れることにカッコイイと憧れ、難解な折紙に何度も挑戦していました。途中で分からなくなると、祖父母や夫、私に尋ねてくるのですが、どうにも解説や図解が理解できず「ごめん、分からんわ~」と言うと、難しくて折れないことを泣くのではなく「このうちには誰も折紙を教えてくれる人がいない!」と言って泣くので、皆で苦笑するばかりでした。そんな彼の難しいことに挑戦する憧れ、またそれを分かりやすく導いて下さる先生方、彼にとっての成基学園は知的好奇心を高め、知識欲を満たしてもらえる、なくてはならない場所と時間でした。自分で志望校を決め、多くの先生方に支えられながら叶えることができ、新しい挑戦とその成功はこれからの彼の人生の支えになると思います。合格おめでとう。そして3年間、本当に有難うございました。

担任からのコメント

知求館(北大路)

中村 完宣

中村 完宣
4年生のときから3年間算数を指導しました。初めは一生懸がんばるけども字が雑な男の子、というよくある男の子のイメージでした。5年生も変わらず『雑だな』でも、算数ができる男の子でした。ところが国語が全くできない。それが露見したのは6年生の後期でした。苦手とか言うレベルではなく、全くできない。しかもこの時期で。本人も焦り、作戦としては、まずきっちりと洛星を合格しよう!でした。東大寺はこのときはまだ、夢のまた夢でした。苦しかった国語の勉強。耐えに耐え、苦手なことから逃げずに立ち向かい、そして戦い続けた結果、最後の最後で国語が伸びていったA君。諦めなければ道が開けることを示してくれましたね。洛星合格、そして念願の東大寺まで届きました。これからの人生でも様々な困難が待ち受けているでしょう。でも今回同様、諦めず、粘り強く『大丈夫。すべて上手くいく』を胸に邁進してください。東大寺合格おめでとう!そしてありがとう。