わたしの志は、
社会の笑顔を増やす為に、ラジオDJになってリスナー全員を楽しませる事です。
物心付いたときから聴いていた、ラジオ。音楽には微塵の興味もなかった幼い頃の私が、好んでラジオを聞いていたのは、話が面白いからだった。この魅力は未だに私を惹き付けている。中学校では、人間関係に悩んだ時期もあった。それでも、イヤホンを耳に入れ、スイッチを入れると、いつもの声がいつも通り語りかけてくれる。この安心感には形容しがたいものがあった。時に笑いを、時に安心を与えられるDJに、私はなりたい。
GO GO 合格大作戦
2月22日の午後。私は祈りながら目の前にあるパソコンの画面をスクロールした。画面が下がると同時に高まる緊張は、すでに異常値を示していた。
中学校入学直後の私は、高校受験について、中3時点の学力で入れる学校でよい、といった程度でしか考えていなかった。しかし、事あるごとに、中学校で生徒が出来る事の限界を感じた。よし、高校は生徒の主体性が最大限尊重される学校を目指そう――。
高校見学に行く中で、興味深い学校説明会があった。それまでの学校と違い、生徒の年間行事の中に、説明会があったのだ。なるほど、その説明会も内容や校正は生徒によるものらしい。これこそ私が探していた学校ではないか。これが京都市立堀川高等学校との出会いだった。
堀川高校合格作戦が始まった。柱は2つ。まず、学校を知ること。そしてもう1つは他ならない、勉強だ。
学校については、所在地からカリキュラム使用教材に至るまで調べた。説明会や探究道場にも極力参加した。堀川高校のイメージをより具体的かつ正確にする為である。
調べる際、最も頻繁に出てきたのが「探究」という言葉だ。3年間研究をして、最後に論文を書く。何とも魅力的ではないか。私は探究学科を目指すことにした。
とは言え、実力が無くては、そのイメージはただの夢と化す。当然、中学校での授業は大切だ。しかし、学校の授業で全てを理解するのは不可能だし、第一、受験に間に合わないか、間に合ってもギリギリだ。そこで私は成基学園の授業の理解に努め、分からない点はその場で解決、そして学校の授業を復習に使った。
集団とはいえ、1クラスの人数が多すぎない成基学園の授業は、メンター方との距離が近く、質問しやすかった。その為に、授業の理解には何の問題もなかった。
しかし、御三家に数えられる堀川高の入り口は、授業理解の程度では太刀打ちできない。いかに実践するかが重要だと、メンター方も口をそろえておっしゃった。そこで、授業の有無に関わらず、自習室にできる限り長い時間身を置くことで、否が応でも勉強するようにした。無論、月に1度は息抜きの為に自習室に行かない日もあったが。
3年生になり、受験に向けたスケジュールは、ますます詰まってきた。
例えば、4日間のお盆特訓。幸いにも体力はもったが、精神面ではかなり堪えた。お盆特訓での私のクラスは上から3番目。堀川高を受ける事にナーバスになりつつある中での受講だった事も原因の1つだろう。
ところが、この経験はその後始まった日進へのバネとなった。お盆特訓のリベンジをしてやる、そのような気持ちで取り組んだ。全13回の日進は、難易度や構成もまちまちで、13という数以上のものを得た。成績の良し悪しに関わらず、結果を真摯に受け止め、復習をする。その上で、また来週もある、とポジティブに考え、次回へのモチベーションにしていた。
正月特訓や、直前特訓は学力の補填に加え、入試直前の自信にもなった。正月にも直前にも休日返上で勉強したこの事実は他の誰にも負けないという自信に、である。
堀川高校を調べ尽くし、自らの勉強サイクルと、誰にも負けないという自信もあり、入試当日は2割の緊張と8割の平常心で迎えることが出来た。
受験番号は上の位から私のそれに近づき、スクロールが止まる。自分の目が信じられず、ページを3回も更新した。紛れもなくその画面は私の合格を告げていた。
合格は私だけの力で得たものではない。塾への送迎や遅い夕食を用意してくれた父と母に。3年間ずっと応援してくれた祖父と祖母に。3年間英語を指導していただき、常に近い存在でアドバイスして下さったMr.Kingに。各教科を担当して下さったKo先生Sa先生Na先生Ni先生、受付で話を聴いてくださったメンター方に。そして、同じクラスで切磋琢磨してきた皆に、心からの謝意を伝えたい。本当にありがとうございました。
最後に未来の受験生諸君へ。志望校が決定したら、その学校が求める生徒像を常に頭に置いておかなければらない。その学校が欲しいと思う人材にならなければならないのだ。いくら成績優秀でも、学校の方針に合わない生徒は求められないし、仮に入学出来ても、相性が合わず、面白くない学校生活になりかねない。入りたくて入った学校でのこの有様は、なんと悲しいことか。合格出来るよう、学校に歩み寄り、入学後の高校ライフを楽しむ為にも、繰り返しになるが、その学校が求める生徒像を頭に入れるべきなのである。