わたしの志は、
起業して新しいサービスを作り、困っている人を救うことです。
今の世の中には、まだ解決できていない悩みを持つ人がたくさんいます。受ける側ではなく、作る側になることで、そうした人たちが笑顔になれる方法を生み出したいです。この志を忘れず、将来たくさんの人を助けられる起業家になれるよう、これからも色々なことを一生懸命学んでいきたいと思います。
自分を知ること
「よーい、始め」
周りから鉛筆を動かす音が教室中に響き渡る。制限時間は刻一刻と迫る。しかし僕の手は動かない。解らないからだ。これは、最難関特訓での出来事である。
僕は、入塾して以来、好成績を取り続けていた。ショートテストでは毎回のように100点だったし、オープンテストでも偏差値は65以上あった。そんなこともあって僕は5年の秋から最難関特訓に行くことになった。正直、舐めていた。自分は算数が得意だという自負もあったし、実際オープンテストでも上位だったので、最難関の問題でも楽に解けるだろう、という甘い考えを持っていた。けれど、配られた問題を見るも解けない。塾で初めて挫折を味わったのだった。解説を聞いてみる限り、知らない解き方はない。ちゃんと順序だてて解けばできる問題だった。自分は基礎が甘かったのだと思った。
そこから僕はテキストの解き方を覚えたり、間違った問題はその単元のテキストを見直して、なぜその解き方になるのか、ということを考えながら解き直した。また、5年生のテキストを、6年生の最後まで何度も見直した。それもあって毎回のオープンテストで偏差値65以上を取れるようになった。
5年生の11月、僕は洛星中学校の見学会に行った。そこではクラブ体験もあり、在校生の人や、先生が優しく丁寧に教えてくれたことから、洛星中に入りたいと思うようになった。
6年生になり、日曜進学教室(日進)が始まった。ここでは男子最難関コースに通っていたが、問題が少しずつ解るようになっていった。日進のウルトラコースのテストでも、周りに負けたくないという思いで頑張っていた。特に、亀岡教室には仲がよく、最難関特訓に一緒に行っていた3人の友達がいたが、絶対にその人たちには負けたくなかった。
そうして迎えた入試当日、僕はほとんど緊張しなかった。テストも前年より難しくなっていたが、落ち着いた気持ちで取り組むことができた。そして、試験の次の日、合格おめでとうございますの文字を見たとき、実感がわかなかったが、後から嬉しさが込みあがってきた。
最後に、これを読んでいる人に言いたいのは、成績を過信するのではなく、その中身を見てほしいということだ。数字だけで成績を見てしまうのではなく、自分は何ができていて何ができないのか、それを冷静に分析して合格を勝ち取ってほしい。
保護者からのコメント
М・Sさん
幼い頃は姉兄の後ろをついていくばかりだった息子が、塾へ通い出したのは小学4年生の時。当初は受験をどこか遠いことのように感じていたようですが、同じく受験を経て楽しそうに中学生活を送る姉や、志望校合格を掴み取った2歳上の兄の背中を見るうちに、自らも受験の道を志すようになりました。大きな転機は5年生の秋、クラブ体験を兼ねた洛星中学校の見学会でした。憧れの地を見つけた息子は、そこから見違えるほど逞しくなりました。塾の先生方や切磋琢磨し合える友人に恵まれ、日々成長していく姿を嬉しく見守っていました。また成基学園OBである小学校の担任の先生や、クラスの友人が心から応援してくれたことも、大きな支えとなりました。「結果よりも、今日まで積み上げた過程にこそ価値がある」と言い聞かせ、当日を迎えました。合格はもちろん嬉しかったのですが、多くの支えにより成長できたこの3年間に、何より感謝しています。
担任からのコメント
福嶋 充子
初めて会った時の君は、少し自信家で生意気な印象だったのを覚えています。でも、授業を重ねるたびに、それが単なる強がりではなく、裏付けされた圧倒的な知識量と、人に見せない泥臭い努力に支えられた『本物の自信』なのだと確信しました。
1学年1クラスという小規模校に在籍しながら、最難関コースに選ばれ、日曜日にはそこでライバルたちと激しく切磋琢磨した日々。上手くいかない時もあったはずですが、人に見せないところで一歩ずつ積み重ねてきた見えない努力。その泥臭い過程があったからこそ、最難関の『合格』を勝ち取ることができたのです。
君のその豊富な知識と折れない心があれば、新しいステージでもきっと周囲を驚かせる存在になるはず。中学生活という広い海で、さらに自由に、自分らしく学んでいってください。君のこれからの活躍を、心から楽しみにしています。本当によく頑張ったね!