努力は必ず報われる
私の夢は、人々が安心して暮らせる家を造る一級建築士です。私は地震が起こっても、倒れることのない丈夫な家を造りたいです。東日本大震災で多くの人々が亡くなられたのが、非常に残念で悲しかったからです。だから、もし大地震が起こっても、倒れることのない丈夫な家を造る建築士になりたいです。
私は、5年生の時に受験することを決めました。最初はただ両親にすすめられて、受験がどのようなものかもわからず、成基学園に通っていただけでした。しかし、テキスト、宿題、授業の多さに驚き、正直嫌になりました。けれども、勉強は学校で役に立ちますし、クラスメートも良い友だちばかりですし、先生の授業はわかりやすいですし、「受験」というのは私の良い経験になると考えました。
そして、立命館中学校を知り、良い学校だと思いました。勉強は高度ですし、校舎は新しくきれいですし、何より通っていらっしゃる生徒さんが楽しそうで、私もこんな中学校に通いたいと思い、立命館中を志望校にしました。それからはだんだん、がんばろう、絶対立命館中に合格したい、というふうに強く思えるようにもなりました。
しかし、私は思うだけで実行することができませんでした。そのせいか、〈オープンテスト〉では、毎回毎回、合格判定はDかEというひどい結果で、両親の目はつり上がるばかりでした。精神的にダメージが大きかったです。しかし今思えば、それは普通だったと思います。5年生のときの私は宿題もろくに出さずに、家ではテレビを見たりゲームをしたりで、良い成績が取れるはずがありませんでした。さすがに反省をして、宿題も前より出すようになり、自主学習までやるようになりました。
そして6年生になり、勉強の内容はもっと難しくなりました。丸1日勉強の生活が続き、心も体もボロボロでした。そんな私がやる気になれたことがありました。「いっしょにがんばろう。」と言ってくれる友だちがクラスにいてくれたことです。私は、「そうだ、ここにいる友だちみんな私と同じなんだ。心も体も疲れるけど、志望校に行きたい」という願いの方が強くて、つらくても耐えられているんだと思い、私もみんなに負けていられない、そう考えました。そこで、あきらめるという選択肢が私の心の中から消えました。
受験録、これも私のやる気を奮い立たせてくれました。先輩の言葉にはげまされて、合格したいという願いが高まりました。私はこのころから努力することを心がけるようになりました。
しかし、私は失敗してしまったことがあります。苦手だった算数の宿題を提出しないでいたことです。立命館中は国・算が100点、理・社が50点という配点で、得点源は国語と算数なのに、苦手な算数を宿題も提出せずに過ごしてしまっていたのです。苦手克服もせず、とうとう1月になってしまったころ、先生は、「もう1月なので算数はやっても、そこまで点数が上がるとは考えにくいから、理科と社会をがんばりなさい。」とおっしゃいました。私は、それまで算数をおろそかにしてしまった代わりに、理科と社会に力を入れることにしました。
理科は計算問題が苦手だったので、計算問題をわかりにくい順に並べてこなしていき、答えを見ても理解しきれなかったときは、先生に質問しに行きました。また、先生がくださった5年生と6年生のショートテストのプリントを全部で80枚程度、必死でやりました。社会は、近畿の中学入試の地理をすべて解き、5年生のときにもらった地理のプリントをできるだけ多く解きました。
さて、立命館中に合格できた私が、将来の夢を叶えるためにこれからやること。それは、もちろん勉強です。両親や先生に、「合格はゴールじゃない。夢を叶えるスタートだ。」と言われ、改めてがんばろう、これからも私なりに努力していこうと思いました。
私がみなさんに伝えたかったこと、それは努力という言葉です。もし、1日に1つ、歴史の年号を覚えたとすると、1年間続けたら365の年号を覚えられるのです。努力は人を裏切りません。みなさんが1日1日を大切に努力を続けたのであれば、その努力は必ず、どこかで結果が出ます。私や先輩たちが続けた努力を、みなさんも続けて、合格をつかみとってください。応援しています。
最後に、勉強は大変で、大切で、楽しく、おもしろいものだと教えてくださった先生方。ときには悲しく、ときにはうれしく笑い合ったクラスメート。そして、成基学園という成功基地に入れてくださった両親に感謝します。
私を支えてくださったみなさん、本当にありがとうございました。