洛星中学校
合格-2015年度
思えば長かった、これまでの受験生活
ぼくの将来の夢は、海洋生物学者です。
ぼくはエビやカメ、魚などの水生生物が好きで、幼いころから飼ってきました。五年生の終わりごろには、カタログを見た り、図鑑などで無脊椎動物を見たりして、さらに興味がわいてきました。そして、そういう生き物の研究をしたいと思うようになりました。
ぼくは受験のことなど全く知らず、何とかなると思っていました。それが、四年生の終わり頃、受験のことを聞き、夢を叶えるために成基学園に入りました。
ぼくは四年生の終わりに入塾したので、四年生の残り一ヵ月は何をしたらいいかわからず、どのようにやっていいかもわからず、いきなり受けた〈オープンテスト〉の偏差値は三十五程度で、ショートテストの結果も散々でした。それで、みんなに追いつくためにテレビなどは全く見ず、休憩時間も削り、死にものぐるいでがんばりました。受験一週間前よりがんばりました。
しかし、解けない問題などがあって、スケジュールがくるったりしたときなどは、それにいらつき、物に八つ当たりしていました。とにかくその時は、頭の中には勉強しかありませんでした。しかし、そのときは勉強そのものに夢中になっていたからか、勉強を楽しく感じるようになっていました。そのおかげで、五年生では入塾した頃より順調なスタートが切れました。
しかし、五年生の夏休みに、みんなにつられて遊び倒したため、遊ぶということの楽しさを思い出し、今までの超高密度スケジュール生活が崩れました。それでも、学園内で二十位以内を目標にしてがんばりました。しかし、結局達成できたのは五年生の九月の〈オープンテスト〉の結果の、男子の中での順位だけでした。
五年生の終わり頃、ぼくはパソコンにはまりました。親の目をぬすみ、すきあらばパソコンをしていました。そんなことをすれば、必然的に成績は落ちます。このとき、ぼくはとても欲しい物があり、その欲しい物を見ていました。しかし、自分の手の届く価格ではなかったので、「大人になってから買おう。」と断念して、最悪のスパイラルから抜け出しました。
六年生になり、五年生の頃は参加することができていた〈最難関特訓〉の参加資格を得ることができませんでした。そして、〈日曜進学教室(日進)〉が始まり、〈最難関特訓〉の参加資格を得ることを目標にがんばりましたが、第二タームでも得ることはできませんでした。そのときぼくは、あきらめかけていました。しかし、〈ウルトラコース〉に向けて苦手なところをまんべんなくやっていくと、少しは成績が良くなり、ギリギリで〈最難関特訓〉の参加資格を得ることができました。〈ウルトラコース〉が始まり、最初のころはまだ大丈夫だったのが、後からどんどんと難しくなり、とうとう百位台になってしまい、なげやりな感じになりがちでした。それでも、〈最難関特訓〉や〈日進〉の復習は一応やっていました。志望校も変えませんでした。勉強だけでなくクラブ活動に力を入れている洛星中学校に、どうしても行きたいという思いがありました。
そして正月になり、怠けていた分を取り返そうとがんばりました。そして、入試のシーズンに入りました。前受け受験は、なんだか成基の催し物のように感じ、順調に問題を解けました。そして、本命の洛星中を受けました。前受け受験とはまるで雰囲気がちがい、緊張しました。解答状況を完全に忘れてしまうほど、頭が真っ白になっていました。
次の日に別の学校を受けましたが、洛星中の結果が心配で集中できませんでした。試験が終わり、父に倍率を聞くと驚くくらい高かったので、さらに心配になりました。そして、昼食を食べ、少し休憩して、洛星中の合格発表を見に行きました。受験のときより緊張しました。今までの人生の中でいちばん緊張したかもしれません。
そして、合格発表。真っ先に自分の受験番号が目に飛びこんできました、というわけにはいかず、父に先に見つけられました。そして父の、「あるぞ! !」という声で受かったことを知りました。とてもうれしかったです。緊張しすぎて、とても疲れました。そして、洛星中にご縁があってよかったと思いました。
最後になりましたが、塾に行かせてくれた父、精神的に支えてくれた母、応援してくれた祖父母や知り合い、そして勉強を教えてくださった先生方、ゆかいな友だちがいたからこそ合格できました。本当にありがとうございました。そして、これからの受験生のみなさん、成績が思うように伸びないときがあっても、あきらめず、最後までがんばってください。
2021年度 - 合格体験記
名前 | タイトル | 所属の教室 |
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間宮 大雅さん | 知求館 |