洛星中学校
合格-2014年度
支えてもらった中学受験
ぼくの将来の夢は、まだ治療法が見つかっていない難病を治すことができる医者です。
ぼくがまだ幼かった頃、扁桃腺が弱くよく熱を出しやすかったせいで、何度も小児科の医者にお世話になっていました。そうして何度もお世話になっているうちに、「医者」という職業に対してあこがれを持ち、自分も病気で苦しむ人を助けたいと思ったので、この職業に就きたいと思いました。ぼくは医者になるために、受験をして洛星中学校に行こうと思い勉強してきました。洛星中で勉強して大学へ行き、医者になり、京都の病院で働きたいと思っています。
ぼくが成基学園に入塾したのは、小学四年生のときでした。ぼくは、成基学園の雰囲気が自分に合っていると思ったので入塾しました。四年生の頃はほとんど入試を意識せず、ただ授業が楽しいからという理由で通っていたので、宿題のやり方は雑で、授業態度もとても悪かったです。実際に宿題のコメント欄に、授業態度や宿題のやり方を注意されたことも何度かあったし、直接呼び出されて注意されたこともありました。
そして、その最悪な状態のまま、ぼくは五年生になりました。五年生になると先生も入れ替わり、宿題の量も増えました。そして、ぼくは担任のY先生と出会いました。Y先生は、ぼくの雑な宿題のやり方や授業の受け方を根本から直してくれました。このY先生との出会いがなければ、ぼくは五年生になっても、四年生の頃と同じように適当に勉強をしていたでしょう。また、この頃から、自分の得意教科や苦手な教科がわかるようになってきました。まず、ぼくは国語が他の教科と比べて得意だとわかりました。そして、そのとき自分が苦手だと思っていたのは算数でした。なぜなら、あまり点数が伸びないうえに、担任のY先生との面談のときに、「お前は算数をもっとがんばれ、算数の復習をちゃんとしろ。」と言われたからです。この言葉により、ぼくは前よりも算数の復習をするようになりました。
そうしているうちに、いつの間にかぼくは六年生になりました。六年生になるときにも先生は替わりました。その中でも、算数科の先生であるN先生との出会いが一番大きかったと思います。N先生は、ぼくたちに受験生としての勉強の仕方や、問題に対する心構えなどを教えてくれました。そうしてN先生の授業を受け、話を聞くうちに自分の受験生としての意識の足りなさや、自分の勉強量の少なさと質の低さを思い知らされました。
そして、〈日曜進学教室(日進)〉が始まりました。〈日進〉はアストロに通う人たちと合同で受けました。その〈日進〉の第一回目のとき、ぼくが通っていた桂教室とアストロの算数の平均点の差が大きく、桂教室はアストロに負けてしまいました。ぼくはそのとき、他の教室の受験生のレベルの高さを知り、このままでは受からないと思いました。そこからぼくは、アストロのトップの人たちを目標にして勉強しました。ぼくは、授業や〈日進〉の復習を中心に勉強していき、次に同じ問題が出たときには絶対に間違わないように気を付けました。そして問題を間違えたときは、その理由を考え、青ペンでプリントに書きこむというふうに勉強しました。そうして勉強しているうちに、アストロの何人かには勝つことができるようになってきました。〈日進〉の〈ウルトラコース〉でも、少しずつ点数をとれていくうちに、だんだんと自信がつくようになりました。
そして、第一志望校の入試日がやってきました。普段の〈日進〉通り受けたらよいと思っていましたが、当日はものすごく緊張していました。けれど、算数のN先生や五年生のときの担任のY先生が緊張をほぐしてくださったおかげで、少しリラックスして入試を受けることができました。
ぼくは、この中学受験で大切なことが四つあったと思います。まず一つ目は、毎回の授業の復習と、宿題やプリントで間違えた問題の復習です。二つ目は、たとえ良い成績をとったとしても決して油断せず、普段の勉強法や授業の受け方を変えないことです。三つ目は、明確な目標を設定することです。ぼくの場合、友だちに勝つことや〈日進〉で五十位以内に入ることを目標にしました。四つ目は、自分を励ましてくれる人やものがあるといいです。ぼくは、ペットの犬に励まされました。
最後に、今までぼくを支えてくれた両親、そして成基学園の先生方、今までありがとうございました。この成基学園で学んだことを、これからの中学校生活でも生かしていきたいと思います。
2021年度 - 合格体験記
名前 | タイトル | 所属の教室 |
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間宮 大雅さん | 知求館 |